親父の誕生日

今日は死んだ親父の誕生日だ。

蟹座のB型ーーー

これが何を意味するのか分からないが、

私のアタマにインプットされている親父のデータだ。

元帝国陸軍上等兵ーーー

生き残ってくれてありがとうと親父に感謝したい。

公務員として一家を支えてくれた。

思えば、人と馴染まないクセに、人一倍集団のなかで

生きていたように思う。

思い出すと、60代の親父の姿が浮かぶ。

いや、40代か。

白いシャツに太い綿の作業ズボン。

腰に手ぬぐいをぶら下げている。

笑っているが、喋らない。

サツキの盆栽の手入れをしている。

元々喋らない人だった。

いや、死んだ人は喋らないものだ。

でも、

笑っている親父が、サツキの手入れをしている。

私の手帳には、親父の遺言のようなものが挟まっていて、

たまに見る。

書道の師範免許をもっていたので字にはうるさかったが、

私が手にしている手紙は、誤字が多い。

晩年に書いた、その衰えがみてとれる。

この手紙を書いた1年後に死んでしまったが、

親父は、自分が建てた最後の家を、お袋の或る事情で

手放さなければならないことに、未練を残していた。

そして、生涯のなかで唯一、

お袋のことを真剣に思いやった時期でもあった。

先日、姉とお袋が住むマンションから、親父のメモがみつかった。

親父がお袋に宛てた手紙だ。

生まれ変わってもお袋と結婚したい、とあった。

お袋を定期的に病院へ連れて行くが、

お袋は一度、

「あの人」という呼称で親父の話をしていて、

遠い知り合いの話でもするかのようだった。

思えば、親父はずっと外の人だったように思う。

お袋は親父の後を付いて歩く人だったが、

裏切られた人でもあった。

晩年、親父がお袋をみていたとき、

お袋はそっぽを向いた。

私はいまになって、親父もお袋も心底好きだし、

親父もお袋も私のことを好きでいてくれている、

と思っている。

ホントに、家族なんだ。

今日は親父の誕生日なので、線香をあげようと思う。

「お袋には、よく言って聞かせるよ、親父!」

冬景色宗介、沿線の景色を斬る!

ご無沙汰です。

田舎住まいの自営業

景色評論家の冬景色です。

このところ、事務仕事が増え閉じこもっておりました。

イケマセンネ?

私は元々、何処へ行くにもクルマでした。

が、最近クルマの運転が面倒でして、

先日も奥さんよりパスモというものを貰い、

説明を受け、用を足しにでかけたのでありました。

何のことはない、

最寄りの駅より電車に乗って出掛けたのですが、

まあ、驚き、疲れた一日でした。

私の場合、最初の難関は改札。

ちょっと緊張しました。

で、恐る恐るパスモをかざすと、

ピッで通れちゃうんですね?

ああ、この話はまた、後日致します。

でですね、

クルマでよく通る景色を電車より眺めていますと、

明らかに首都圏の景色の変貌に驚く訳です。

クルマを運転しているときはチラ見ですが、

電車の場合はガン見ですから…

変貌というのは、ここ10年とみましても、

首都圏からあからさまに緑が減り、

更に土を掘り起こしたりして、

わずかな余白を埋めるように、

マンションや建て売りが、

これでもかというほどに建てられています。

日本の人口は減っていますが、

首都圏では明らかに増えていますね?

でないと、こんな状態にはなり得ない訳でして、

私からすると、息の詰まる景色となる訳です。

極めつけは、敷地10坪、日当たりゼロの建て売りとか、

いま流行の駅前のタワーマンションでしょうか?

見上げて思うに、

私はあんなところで安眠できない!です。

この景色に住むことを想像するに、

私的に考えますと尋常ではない、となります。

都市の美しさというものを通り越し、

ブロイラー都市という皮肉も出て参ります。

「大きなお世話だ」との声が聞こえますが、

いや、この状態はまずいです。

防災上の問題はその道の専門家の言われる通りですが、

何というか、人としての勘ですかね?

本来、生き物として兼ね備えている本能のようなものを、

こうした環境下で過ごしていると喪失してしまう。

そんな気がしてならないのです。

たまに郊外に出て、自然と触れあい、

「いいねぇ」って感心していてもですね、

やはり人は日頃の環境です。

(元々お住まいの方は、

こうした変化に気づいているような気がしますが…)

「なんか最近だるいなー」とか

「いらいらするなー」とかが過ぎるようでしたら、

あなた、それは都会病かも知れません。

もちろん、全国津々浦々まで、

だるい人やいらいらしている人はいるでしょうが、

その方たちは、処々の不具合でしょう。

そうした方も、もちろん都会にもいます。

が、それを差っ引いても、

環境に起因する病は多いと思います。

よく

「田舎に住むなんて冗談じゃないよ」と息巻いている人がいますが、

この人の言っていることをじっと聞いていますと、

「便利」というキーワードと、

都会に住むステータス感のようなものに酔っているのが

よく分かります。

あと、仕事にまつわる恐怖ですかね?

これらをまぜこぜににして、都会は成り立っているのでしょう。

ああ、飲み屋の数の多さも見逃せませんね。

ここは、私も引っかかるところ。

羨ましい限りです。

で、よくよく考えてみると、

東京なんかでも都心の方が緑が多い。

皇居とか、代々木公園とか新宿御苑とか…

あとは、

余白がない景色が広がる訳です。

(例外は井の頭公園、砧公園、駒沢公園、等々力渓谷とか、

いや結構あるな?)

問題なのは、

都心を中心に広がるドーナツ上の景色でありまして、

ここは通勤圏と見事に重なっていますね。

鑑みるに、その方たちの人生設計は、

この辺りから発想され、限られた価値観の中で、

そこそこの一生を過ごすと推定されるのでありますが、

それは景色を見ても明らかなように、

ちょい損な選択のように私には思えます。

偉そうなことをほざいていますが、

私自身、ドーナツ圏内の横浜生まれの横浜育ちで、

若いときは、仕事のために、

多摩川を沿うように走る大井町線沿いにずっと住んでおりまして、

便利を堪能しておりました。

裏を返せば、それしか選択肢がなかったのであります。

で、このとき、思い起こすにですが、私は無意識下で

田舎を見下したようないやーな人間であったような気がします。

で、ここでやはり浮上するのが、やはり仕事の問題でして、

ここをクリアしない限り、ドーナツからは逃れられない。

(ああ、スイマセン、

逃げたくない方は対象外ですので、スルーしてくださいね!)

言い換えれば、ドーナツの景色の問題は、

就職問題とおおいに被っているのでありまして、

その壁を如何に飛び越えるかで、

新たな選択肢も増えると申せましょう。

例えばですよ、

田舎の海の見える丘の上に居を構え、

午前中は、書斎で潮風に吹かれての本社とのテレビ会議。

午後は、タブレットを片手にぷらっと近所の松林の公園へ出掛け、

或るプロジェクトの企画書を仕上げる。

とか…

(なんか、出来過ぎ。嘘くさいですね?)

いまは社会も企業事情も大きく変わりつつあります。

在宅勤務も増えて参りました。

インフラも、鉄道、道路だけでなく、

ネットを始めとする情報インフラも整いつつあります。

あとは、社会の認知と新たな価値の創造。

これに尽きるのではないかと…

とまあ、

今回は景色から推測する仕事の話にスポットを当てましたが、

景色は人生観で変わるとは、少しおおげさに過ぎますかね?

そんな感慨を抱いたのでありました。

さて、

私たちも、人生の景色を真剣に考えないとイケマセン。

大きなお世話とお思いでしょうが、

この冬景色宗介、割とおせっかい、

真剣です!

スパンキー自選詩

河原の石を積み上げて

それが

人の背ほどになったら

石は石でなくなり

それは霊的な存在となる

湖面の静かな日にカヌーに乗り

パドリングを止め

遠くをみていると

水底より魑魅魍魎が

寄ってくることがある

焚き火の炎に

知らぬ顔が映ることがある

よく見ると

それは錯覚ではなく

彼らもまた

媒体というものを

欲っしている

自由であることは

とてつもない勝利に聞こえるが

ときに自由は

過酷な試練を用意する

飼われるのが羨ましくなるのは

そんなときだ

雨が降り

日に照らされ

風に吹かれて

今日も生きる

僕たちは

紛れもない虫けらだ

地震があって

津波がきた

台風が過ぎて

竜巻が起こって

辛くて悲しくて

とんでもないことばかり

怒っているのは

地球の方なのか

生き物はみな

不思議な営みをしていて

その一部である僕も

自身のこともよく分からない

他を想像しても

やはりそれは

分からないことなのだ

恐竜と同じ僕たちは

地球の総てを支配して

そして滅びる

いつかどこかの星で

僕たちのことが

教科書に載る

即仏即神というものがあると聞くが

そんなものはない

あるのは僕たちの願いと

目の前に広がる

荒涼たる荒野だけだ

泡沫のようにはかない

僕たちの人生だけれど

瞬きほどの輝きを求めて

今日も生きる

そう

蛍のようにね

目が覚めると

総ては夢だった

僕はコーヒーで覚醒し

電車に乗り

また新たな悪夢に

突入する

蛾の雄も雌も

明かりをめざす

その異常なまでの執着は

都会に生きる

男と女に似ている

僕たちは勉強すべし

でないと

見るもの聞くもの総てに

惑わされるので

いつ死んだのか

誰も教えてはくれない

美しい人は

ただそれだけで価値があるが

その妖怪のような気性は

きっと神さまの罰に

違いない

君の瞳は10000ボルトか?

堀内孝雄(アリス)のヒット曲「君の瞳は10000ボルト」。

この曲は、資生堂のアイシャドーのCMに使われた。

いや、正確に書くと、この曲はCMのためにつくられ、

思惑通り、商品もヒットしたということになる。

いまから、かれこれ三十数年前の話だ。

そもそもこの楽曲は、或るコピーライターの発案から生まれた。

それに、谷村新司さんがイメージを膨らませて歌詞をつけ、

堀内孝雄さんが曲を作った。

そのコピーライターの名は、土屋耕一。

広告業界に長居していて

この名を知らない人は、まずいないだろう。

彼の代表作に、微笑の法則というのがある。

これも柳ジョージ&レイニーウッドがヒットさせている。

他、ピーチパイ(竹内まりや)、A面で恋をして(大滝詠一)等、

いまでは考えられない、ことばの力をみせつけた人だ。

彼のことばのセンスは、私が思うに、

美的に優れていたこと。

そしてなにより洒落が効いていた。

「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」(誠文堂新光社)を

読むと、彼のことばの操りの妙がみれる。

・なぜ年齢を聞くの

・あ、風がかわったみたい

・肩のチカラを抜くと、夏

・ああ、スポーツの空気だ。

・太るのもいいかなぁ、夏は。

・女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。

これらは、彼のセンスが光る代表的コピー。

何気ない文なのに、気にかかるものがある。

なぜか、心に響いて余韻が残る。

彼が或る雑誌のインタビューに応えていた。

それによると、君の瞳は

1000ボルトではなく100000でも1000000でもなく、

君の瞳は10000ボルトなのだそうだ。

それは理屈ではなく、勘。

そんな主旨のことが書かれていた。

現在は、コピーライティングも

セールスレターのように、

ダイレクト・レスポンスが求められる。

緻密になったといえば、その通り。

実利といえば、致し方ない。

が、余韻が残るものがない。

たとえ、花より団子でも

うまい団子は喰いたい。

それがコピーセンスの差になるのだと思う。

海辺の家の思い出

そこには、古いソファがあった。

木の足と手掛けが細工され、布は古びてはいるが、

ビロード地に薔薇の花が描かれていた。

きっと親戚の家なのだろうと、僕は思う。

広い居間には誰もいない。

僕は廊下のほうからこの居間を見ている。

陽射しが居間の椅子まで伸びて、

静かな時間が流れている。

遠くから、波の打ち寄せる音がかすかに聞こえる。

ちょっと湿った家だということに気づく。

ああそうだ、

僕は、人がやっとすれ違がうことができる細い坂の階段を昇って、

この家に辿り着いたのだ。

僕が立っている廊下には、

洋風の箪笥のようなものが置かれていて、

その上に、ガラスのドームで覆われた金色の時計が、

振り子を回している。

中に、金の歯車が幾つも動いていて、

そこから伸びた4つの金色の美しい金具が、

一定の間隔でぐるりと回る。

陽は少し赤みを帯びている。

夕方だなと思った。

なぜ、この家には誰もいないのだろう。

それでもなんの不安も感じない僕は、

ゆったりとした空間のなかで、

夏の終わりのような季節に、

この洋館の午後を楽しんでいた。

居間の真ん中には、

古びた大きなステレオが置いてあり、

結局僕は、後にこの居間で、一枚のレコードを聴いている。

それは、僕がこの居間でどうしても聴きたかった一枚で、

そのためだけに、

遠い自宅から、電車を乗り継いでわざわざ訪れたのだ。

レコードを回すのは、午後にしようと思っていた。

陽の美しい日を選ぼうと決めていた。

金色の時計は、そのときまで廊下の箪笥の上にあればいいと思った。

居間に座り、

おとなになった僕は、柔らかい夕陽を浴びて、

金色の時計を手にしながら、幼い日を懐かしんだが、

一枚のレコードに、僕の涙はとめどなく流れて、

この家の住人は、

やはり

その日も帰ってこなかったのだ。

eブックメデイアの進化

電子書籍が広まっているが、世間の反応はさまざまだ。

制作コストが低いので、当然売価も低く抑えられている。

他、かさばらない等、良い反応もあるが、

当然ネガティブな評価も多い。

曰く、やはり本は紙に限るというアナログ派の意見が、

多勢を占める。

電子書籍の軽々しさに較べれば、実体も重さもリアルな書籍は、

やはり権威もありそうだ。

今後、大事な本は書籍で、ちょいと読む本はeブックで。

こういう人たちが増えている。

弊社も電子書籍関係企業とのアライアンスがあるが、

それによると、クラウド上に本棚を設置し、

好きなときに好きな本をダウンロードして読む。

そんな感覚。

で、本棚のアイコンもいろいろデザインできるが、

やはりクラッシックなデザインを好む傾向がある。

これも振り幅の大きさを物語っている。

で、弊社が推し進めたいのは、企業パンフレットとか、

改訂が頻繁に起きるマニュアル類をターゲットにしている。

これらの印刷コストや改訂コストを考えると、

印刷会社様には悪いが、費用が掛かり過ぎ。

こうした分野で、電子書籍は威力を発揮する。

版権の絡んだものとか、著名なものは扱わない。

要は棲み分ければ良いというのが、弊社の姿勢だ。

デバイスは、ほぼなんでもOK。

いろいろなチョイスに応じますが、

御社でもひとつ検討しません?

僕らにとってのコカ・コーラという存在

一応コピーライターなので、CMネタをひとつ。

いまでは、どうということのない飲み物だが、

コカ・コーラを子供の頃に初めて飲んだときは、

ホントに驚いた。

それは味であり、色でもあったと思う。

当時の炭酸飲料といえばサイダー位しかなかったので、

コーラはなんというか、

表現しづらい不思議なインパクトがあった。

うまいといえばうまい、かな?

そんな初めての味が、みんなを虜にしていったと思う。

しかし、薬っぽい味といえば、そんな気もする。

そもそもコーラを発明?した人が薬剤師だったというから、

当初は疲労回復とか、そんな売り方をしていたらしい。

しかし、全然売れない。

で、この権利を買い取った人が飲み物として売り、

大ヒットした。

商品のポジションって重要だな。

中身に関しても、当時はいろいろな噂が飛んだ。

南米産のコカの葉(麻薬の一種)が入っているとか、

飲み過ぎると骨が溶けるとか…

これはいまでも都市伝説のひとつだろう。

コーラといえば、日本の場合はコカ・コーラなのだ。

ペプシが強い国もあるらしいが、

日本はペプシではなく、コカ・コーラ。

コカ・コーラが日本に根付いた理由は、やはりコマーシャルの力だと思う。

味ではない。

ペプシもそれなりに頑張ってはいたが、

コカ・コーラのプロモーションのうまさは、

当時から群を抜いていた。

この飲み物は、まずアメリカというリッチな国の生活を

体現させてくれた。

その頃は、

映画・若大将シリーズで大人気だった加山雄三が、

実にうまそうにコーラを飲んでいた。

もちろんCMでだが、僕らへの売り込みは成功した。

日本がこれからリッチになろうという時代に、

コカ・コーラはタイムリーに上陸したのだ。

贅沢な生活シーンとコカ・コーラ。

この憧れが、徐々に世間に広がりをみせた。

で、コピーはまずこんな具合。

♪コカ・コーラを飲もうよ

コカ・コーラを冷やしてね♪

実に単純なコピーだか、

当時はこの「冷やす」という行為が贅沢だった。

いまは冷えている飲み物は当たり前だが、

電気冷蔵庫が普及したての当時の日本では、

冷やすというのは、なかなかリッチなことだったのだ。

余談だか、この頃のコカ・コーラのボトルは、

個性的な曲線でつくられ、

それが独特の存在感を表していた。

一説では、

女性のボディラインを元にデザインされたということで、

後に、僕がいまの仕事についたとき、なるほどと思った。

その頃の僕らにしてみれば、

コカ・コーラは、ひとつのお洒落なアイテムだった。

これもコマーシャルの力だ。

夏場は、コーラとの付き合いも親密で、

海ではサンオイルじゃない、コパトーンじゃない、

コーラを振りかけて陽に焼くというのが、流行った。

で、夜はいまでいうカフェバーみたいた店に集まり、

アメリカンロックなんかを聴いて踊ったりしたが、

そのときの飲み物が、ウィスキー&コーラ。

要するに、コークハイだ。

冷静に味わえばうまくはない。

しかし、そんなことはどうでもよかった。

バーベキューをしながらコーラを飲む、

というシーンをテレビで観たときも、

僕らは、その初めてのスタイルに驚いた。

肉をガンガン喰いながらコーラをグイグイ飲むーーー

これは贅沢の極み以外のなにものでもなく、

そのインパクトは日本中に伝搬したに違いない。

アメリカン・ライフ・スタイルは、

こうして世間を席巻し、

僕はぼんやりと、

ああ、アメリカという国には勝てないな、なんて思ったものだ。

ま、こうした驚きもインパクトも当然意図的だが、
それが素直に伝わったというのも当時の日本を映しているし、
コマーシャルにもパワーがあったといえるのだろう。

こうして時代も流れ、日本も豊かになると、

コカ・コーラもコマーシャルスタイルを変え、

日本という国に併せたコマーシャル展開となる。

町の魚屋さんのおっさんとかOL、

サラリーマンとか京都の舞妓さんとか、

普通に働く人と日常の生活シーンのなかにコカ・コーラがあるという

スタイルをとるようになる。

これで外資、

いや、コカ・コーラ文化が日本に確実に根付いてゆくこととなる。

僕らが大人になっても、

コカ・コーラのコマーシャルは相変わらず印象に残るものが多かった。

それは、

映像の秀逸さに併せるように、コピーに共感できるメッセージ性があったからだ。

スカッと爽やか、も素晴らしいコピーだが、

僕が凄いと思ったのは、単なるコーラのコマーシャルが、

愛だの自由だの、人間を語り出したことだった。

♪本当のひととき 本当の人生

生きている心

自然にかえれと誰かが呼んでる

そうさコカ・コーラ

この広い空の下

生まれてきてよかった

そうさ

人間は人間さ

コカ・コーラ♪

がら空きの思想

がら空きの思想があった

私がその部屋を覗くと

一人の女性が顔を出し

ようこそと招き入れる

あられから月日は過ぎ

私はその思想について考察し

多角的に検証し

ときに深く考え

多少の疑念を抱いたが

がら空きの思想は

その女性により

遂に完成をみたのだ

私はいま

その女性を崇め

きっといつか

なにかしらの遺志を継いで

生きてゆくことだろう

元来その女には

学もなく

夢もなく

人を罵り蔑むことも多く

世の中の総ての事象に

つまらない反応を示し

ただ丈夫な体躯だけで

働くことだけを示し

変えられない過去に嫌悪し

魑魅魍魎に

取り憑かれているのを知るにつけ

私は或る日

このがら空きの思想を

二階のベランダで天日干しにして

パンパン叩き

部屋へ取り込んで

ひとつひとつを点検した

絡み付いた汚い糸を解き

へばり付いた汚れを剥がし

ヘラでほじくり

綺麗な真水で洗い流した

そうして

やがて顔を出したのは

ことばにできない

光輝く

玉のように深い色を湛える

それは紛れもない

愛だったのだ

日付変更線 (story9)

前号までのあらすじ

(再び南の島で再会した二人は

孤島で一日を過ごす

それは僕にとって

忘れられない日であり

人生における或る決断の

きっかけとなる)

コロールに戻った僕たちは

一旦シャワーを浴びに

それぞれの所へと帰った

僕は部屋で

ジェニファーのことばかりを

考えていた

そして、あのゴーギャンのことも…

ポロとスラックスに着替え

再び彼女に会うために

ホテルのフロントに寄る

と、例の金髪女性が

「ジェニファーはとても素敵な子よ、

そしてロマンチック

あなたにピッタリだと思うわ」

と言って鍵を受け取る

とっさに僕は

「ああ、全力を尽くすよ」

と笑顔で返す

ホテルの前で

僕らは待ち合わせていた

今度は以前と違って

二人して堂々とでかけられる

木陰のベンチに寝転がっていると

ジェニファーの赤いTOYOTAが

ホテルの前に滑り込む

運転席の彼女は

赤い花をあしらったTシャツに

ホワイトジーンズをはいていた

「今度は僕が運転しよう」

「OK、頼むわ」

エアコンを切り

窓を全開にして

僕たちは

南へクルマを走らせる

遠くのリーフから

珊瑚礁にぶつかる波が夕日に光る

島の突端のカープレストランに着くと

今日はもうお客さんはいなかった

それは

波打ち際のガランとした駐車場を見れば

すぐに分かる

打ち寄せる波に揺れるはしご階段を降り

船内へ入ると

あのときと同じように

窓際のテーブルに座る

ジュークボックスから

カーティス・メイフィールドの嘆くような

独特の高い歌声が響く

僕たちは

簡単な食事を済ませ

ゆっくりと

バーボンを飲むことにした

話は、仕事、家族、都会と自然

そしてお互いの人生観へと移る

3杯目のバーボンが空になったとき

ふとジェニファーが

東京に好きな子はいるの?と

僕に尋ねる

「好きな子?

それは何人もいるさ

だけどそれだけさ

後は何もない」

それはloveではなく

likeだと彼女に説明する

「それは

あなたがやさしい証拠

寛容なのね」

彼女が皮肉混じりに笑い

バーボンの入ったグラスを置いて

宙をみつめる

いや、違う、

ジェニファー、それは勘違いだよ

僕は

改めて、彼女の魅力的な第一印象

そして彼女に対する熱い想いと

いまの素直な気持ちを話した

過去に幾度か、こうした場面で

自分の気持ちをはっきり伝えられず

いわゆる恋の敗者になっていたので

僕は酔いをできるだけ醒まして

冷静にゆっくり、すべてを話すよう努めた

そして

なんとか話し終わると

僕はぐったりして

窓に目をやる

あのときと同じように

ブイが

黒い波間に揺れて光っている

再び、酔いがまわってくる

ジェニファーが、突然隣に座った

そして僕にキスをすると

「あなたは誠実な人ね」と言った

「ありがとう」

それから僕たちは

時間を忘れるほどに

ずっと抱き合っていた

「一緒に暮らしてみようか?」

「それも、いいかもしれないわね」

大海原に浮かぶ小さなカヤックのように

僕の行方もまた大きく揺れる

或る出会いがあって

それが僕の生きる価値と重なったとき

きっとそれが

進むべき方向なのだ

二人で店を出ると

信じられないほど明るい満月が

海と遠くの島々を

影絵のように照らしている

南の島独特の

温かいスローな風が

二人の頬を撫でる

(僕とジェニファーの物語が

ここから始まるのだ)

時折

僕のアタマのなかで

ゴーギャンの自画像が

こっちを睨んで

笑っていた

(完)

日付変更線 (story8)

前号までのあらすじ

(再び南の島を訪れた僕は

日に日に蘇ってゆく

そして気にかかるのは

ジェニファーのこと

果たして美しい彼女は

まだこの島で暮らしていた)

ジェニファーと再会した2日後

僕は彼女とロックアイランドへ

でかけた

二人を乗せたシーカヤックは

穏やかな波の上を

滑るように進む

木々が生い茂る

小さなこんもりとした島が

幾つも見えてきて

その間を縫うように

漕ぐ

水に触れた風が

二人の汗を乾かし

暑さを柔らげてくれるので

僕たちは

なんとか漕ぎ続けられた

やがて

誰もいない白い砂浜が広がる

孤島に辿り着く

周囲が見渡せるほどの

小さい島だ

白いビーチの向こうに

一本の椰子の木が

風に吹そよいでいる

僕たちはシーカヤックを

浜へ引き上げ

中から手荷物を持ち

椰子の木の下にクロスを広げて

早速寝転がる

真向かいの大きな島には

白い大型クルーザーが停留している

「あれは?」と僕が指さすと

ジェニファーが

「世界中を船でまわっている

大富豪らしいの、

凄いわよね」と言ったが

その表情は

興味なさ気だった

ミラーの缶ビールを飲みながら

彼女が最近覚えたという

手作りの椰子蟹グラタンを食べてみる

「美味いね」というと

彼女が「ホント」と嬉しそうに笑う

「ホントさ、これは美味い」

僕は

東京の会社を辞めたことを話した

彼女は「そうなの」と言って

遠く波間の辺りを眺めている

「これからどうするの?」

「働くさ」

「そうね」

「この島の観光ガイドとかって

どうだろう?」

「ええ、いいんじゃない」

ジェニファーが少し笑う

僕は彼女に尋ねる

「ジェニファーこそ

なんでアメリカへ帰らないの?」

彼女が少し戸惑ったように間を置く

「例の彼は帰国したのよ」

彼女がキッパリと言う

「そう」

「私はね、いろいろ考えた末、この島に残ることにしたの」

「彼は?」

終わったの、と彼女が言うと、

飲み終わったミラーの缶を

白い砂の上に放り投げた

二人は沈黙し

長い時間が過ぎた

耳に囁く海風と

白いビーチに打ち寄せる波

遠いリーフの泡立ちの音が混ざって

この島の音楽になる

僕はこのとき

何故だか不意に

生きていることにとても感謝してた

それは生まれて初めての体験であり

とても不思議な感覚だった

ジェニファーが

「私ね、いま島の東にある浜で

お店を始めたの」

とつぶやく

「そう」

「店のオーナーがオーストラリアに帰国して

後は好きにしていいよって…」

「ふーん、大胆だね」

「金持ちだからね」

彼女がぺろっと舌を出す

聞けば

その店は簡単な食事と

ドリンクと島の花と

貝殻のアクセサリーを扱っているという

「おもしろい?」

「うん、とても」

ジェニファーが続ける

「お店ってね、やってみると大変なの、

結構朝からてんてこ舞い

なのに

あまり儲からないのが笑えるわ」

僕が

「この島に対する

国別ごとの観光客が求める

嗜好についてのマーケティング・プランを

作成してみようか?」

とふざけると、彼女は

「そのマーケティングという言葉は

聞きたくないわ」

と大げさに笑った

陽が波間に近づき

空と海がオレンジに色づいてきた

「そろそろ帰ろうか?」

僕が立ち上がると

彼女がおもむろにこう言った

「この話のつづきを

カープレストランでしない?」

「OK!そうしよう」

(つづく)