君の瞳は10000ボルトか?

堀内孝雄(アリス)のヒット曲「君の瞳は10000ボルト」。

この曲は、資生堂のアイシャドーのCMに使われた。

いや、正確に書くと、この曲はCMのためにつくられ、

思惑通り、商品もヒットしたということになる。

いまから、かれこれ三十数年前の話だ。

そもそもこの楽曲は、或るコピーライターの発案から生まれた。

それに、谷村新司さんがイメージを膨らませて歌詞をつけ、

堀内孝雄さんが曲を作った。

そのコピーライターの名は、土屋耕一。

広告業界に長居していて

この名を知らない人は、まずいないだろう。

彼の代表作に、微笑の法則というのがある。

これも柳ジョージ&レイニーウッドがヒットさせている。

他、ピーチパイ(竹内まりや)、A面で恋をして(大滝詠一)等、

いまでは考えられない、ことばの力をみせつけた人だ。

彼のことばのセンスは、私が思うに、

美的に優れていたこと。

そしてなにより洒落が効いていた。

「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」(誠文堂新光社)を

読むと、彼のことばの操りの妙がみれる。

・なぜ年齢を聞くの

・あ、風がかわったみたい

・肩のチカラを抜くと、夏

・ああ、スポーツの空気だ。

・太るのもいいかなぁ、夏は。

・女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。

これらは、彼のセンスが光る代表的コピー。

何気ない文なのに、気にかかるものがある。

なぜか、心に響いて余韻が残る。

彼が或る雑誌のインタビューに応えていた。

それによると、君の瞳は

1000ボルトではなく100000でも1000000でもなく、

君の瞳は10000ボルトなのだそうだ。

それは理屈ではなく、勘。

そんな主旨のことが書かれていた。

現在は、コピーライティングも

セールスレターのように、

ダイレクト・レスポンスが求められる。

緻密になったといえば、その通り。

実利といえば、致し方ない。

が、余韻が残るものがない。

たとえ、花より団子でも

うまい団子は喰いたい。

それがコピーセンスの差になるのだと思う。

まなざし

愁いた視線

気の強いまなざし

そのメッセージは

小動物の鳴き声のように

全身に絡みついて

離れず

いつからか

あなたを追う羽目になり

そうして巡る旅が

今日まで続いて

空虚だけが

私の宙に浮かんでいるけれど

過ぎた年月は

幾度となく

過去と絡み合って

混濁を生む

ああ

愁いた視線

気の強いまなざし

あの日

あなたは

素っ気なくて

だけど

僕は

そんな時を超えることもなく

今更する引き返すこともなく

記憶のなかで

あなたがわずかに微笑んだことも

知っているから

相も変わらず僕の宙には

空虚だけが

ぽかんと口を空けている

スパンキーの随想

ことばに棘のある日は

気をつけなければ…

邪気が胸の鼓動から

すっと入ってくるからね

楽しいことも辛いことも

うたかた

だから酒があり祭りがあるんだよといつか聞いた

そうだよな

過去を振り返っていろいろ考える

…あれで良かったのかなと

そんなときは自分を褒めてあげる

だってそれしかないじゃないか

久しぶりに酒を口にしたい晩は

疲れているのか いや ほっとしているのか

それでたしなみというものが分かるらしい

海の向こうになにがあるのか

そうして心がざわざわすることが

若いということ

志が舞っているのだ

再び起き上がれないことがある

ときにあきらめることも…

そんな自分を受け入れることも

いいんじゃないかと思う

晴れた日にはそのように

雨の日にはそれなりに

生きていければいいと

思うんだけどね

人は生まれつき

悲しみに満ちていて

そこをどう埋めるかという作業に

私たちは

一生を費やしている

eブックメデイアの進化

電子書籍が広まっているが、世間の反応はさまざまだ。

制作コストが低いので、当然売価も低く抑えられている。

他、かさばらない等、良い反応もあるが、

当然ネガティブな評価も多い。

曰く、やはり本は紙に限るというアナログ派の意見が、

多勢を占める。

電子書籍の軽々しさに較べれば、実体も重さもリアルな書籍は、

やはり権威もありそうだ。

今後、大事な本は書籍で、ちょいと読む本はeブックで。

こういう人たちが増えている。

弊社も電子書籍関係企業とのアライアンスがあるが、

それによると、クラウド上に本棚を設置し、

好きなときに好きな本をダウンロードして読む。

そんな感覚。

で、本棚のアイコンもいろいろデザインできるが、

やはりクラッシックなデザインを好む傾向がある。

これも振り幅の大きさを物語っている。

で、弊社が推し進めたいのは、企業パンフレットとか、

改訂が頻繁に起きるマニュアル類をターゲットにしている。

これらの印刷コストや改訂コストを考えると、

印刷会社様には悪いが、費用が掛かり過ぎ。

こうした分野で、電子書籍は威力を発揮する。

版権の絡んだものとか、著名なものは扱わない。

要は棲み分ければ良いというのが、弊社の姿勢だ。

デバイスは、ほぼなんでもOK。

いろいろなチョイスに応じますが、

御社でもひとつ検討しません?

※この記事は、弊社ビジネスブログに掲載したものを転載しました。

いまでも想い出す、フレーズ

「よう、これで遊んできなよ」

若い頃、良くない連中と付き合っていた時期がある。
と、その筋の先輩からポンと10万円入りの封筒を渡された。
そのときに言われたことば。
一瞬回りの空気が固まったのを覚えています(笑)
もちろん後日返却しましたが、
あのときもしあの10万円を使っていたら、
私の人生も間違いなく悪い方へ…と思うのですが。

「だってお父さんとお母さんが好きなんだもん」

ウチの長男が保育園に通っていた、ずっとむかし、
なんだか原因不明の登園拒否になりかけてしまい、
彼に「なんで?」と話したところ、
うつむいて発したことば。
あれから、うん十年。
いま彼は、一人前風で、デカい面をしている。

「今日まで、お疲れ様でした」

夏の暑い日の朝だった。
姉のマンションで突然亡くなった父。
電話を受け、飛んで行ったものの、
私は頭が真っ白になってしまい、
ただ父の遺体に頭を下げ、
無意識にこのことばを繰り返していました。
(もっと話しておけば良かった…)
後悔だけが残ります。

父は結局苦労人だったと思います。

「俺みたいな大人をなめるんじゃないよ」

中学生のとき、城ヶ島で散々泳いで民宿に忘れ物をし、
京急の三崎口で、たまたま通りかかったパトカーにその事情を話して
乗せてもらったことがある。
いわば、タクシー代わりにパトカーに乗ったことになる。
計器類をいじくっていたとき、かなりかんに障ったのだろう。
ドスの効いた話し方に、ガキながら権力を手にした親爺の怖さに、
返ってむっときた私でした。

「お天道様がみているよ」

小さい頃から、おふくろに散々言われ続けたことば。
おてんとうさまとは、太陽のこと。
人目にさらせないようなことは絶対にするなと、
おふくろは常に私の行動を信用せず、脅し続けていた?

だってお母さん、雨とか曇りの日はお天道様いないよ 
と言い返し、何度か叩かれた覚えがあります。

「都会という森に棲む、ということ」

品川駅の海側の開発地区のビルを歩いていたときに、
思わず浮かんだフレーズ。
緑もあってとても素敵な空間だったのですが、
言いしれぬ閉塞感に突然息苦しさを覚えて、
そうした神経を鎮めようと思いつく。
だって、こうでも考えないと、
私はもう都会には出掛けられないなと…

人はことばで変る?

「もうプールで泳ぎたくないよ!」

娘が幼稚園の頃、風邪が長引いて数日寝込んでいたとき、
憂鬱顔を泣き腫らして、私たちにこう言いました。
うーん、いまは真冬だし、
スイミングスクールにも通っていないし…
ハテ?
「分かった、泳ぐの、やめようね。」

最近、娘にこのことを尋ねたら、
「私ってあの頃ネガティブだったのよね」
ふーん。

「産んでくれて、ありがとうございます」

おふくろを亡くしたとき、こんな陳腐なことばしか
出てこなかった。これってよく聞くフレーズですが、
考えるにやはりよくできたもので、
結局いまもこう思っています。
ある意味、普遍的なフレーズ。

これに尽きる! そう思います。

愛の、クラウン。

トヨタが、遂にピンクのクラウンを登場させた。

TVCMを観たが、正直うーんと唸ってしまう。

ピンクのボディカラーは特別色らしいが、

この色を前面に打ち出すには、当然訳がある。

曰く、ピンクは愛の色らしい。

という訳で、クラウンが突然、愛を語り出したのだ。

このCMには、たけしとジャン・レノという大物が共演。

「愛は勝つ」という唄をモチーフに、

クラウンの新しいコンセプトを、

力技で語っているようにも思える。

キャッチフレーズは、

「権力より、愛だ」

で、ピンクのクラウンなのだ。

それが格好いいかどうか、

そしてクラウンが愛を叫ぶことに、

私のアタマはしばし混乱した。

クラウンといえば、かつては当然ように白だった。

ムカシから白いクラウンは、ある意味、

成功者の乗り物だったのだ。

中小企業の社長さんも、

サラリーマンとして順調に昇進したお父さんも、

最後の「上がり」のクルマとして、

みな白いクラウンを選んだ。

その頃のクラウンのキャッチフレーズは、

「いつかはクラウン」

頑張って努力して、いつの日にか

クラウンに乗れるような人間になりたい…

そういう意味合いが、

「いつかは、クラウン」というコピーに込められていた。

また、

クラウンは成功の証としてのシンボルだけでなく、

日本の代表する高級車であり、

気品と風格も兼ね備えているという点で、

右に並ぶクルマはそうそうなかった時代もあった。

ライバルとして日産セドリックが挙げられるが、

ブランド力として、クラウンの方に軍配は上がった。

これらの評価は、クルマの性能ではなく、

やはり広告によるイメージの力が担っていた、

ように思えるのだが…

そして、

クラウンは今更ながら、権力を捨てた。

権力はレクサスにバトンタッチしたのかな?

はたまたとうの昔に、ベンツに奪われていたのか。

今頃になって愛に気づいたクラウンは、

まずピンクのボディカラーで、

出直す事を決意したのだ。

で、愛はピンクなのかどうか私はよく分からないが、

急にそんな事言われても困りますと、

かつて置いてけぼりを食わされた家族とか恋人からは、

かなり責められそうな気がするクラウンの、

今回の方向転換。

人に例えると、

そんなこといまごろになって言っても遅いわよと、

そっぽを向かれるのが関の山のような…

調子いいゾ!

しかし、

「生まれ変わるためだよ」とたけしが真剣に語る表情に、

トヨタの必死さがみえるのは、私だけか。

ちょっと様子をみようと思う。

※この記事は、弊社サイトのビジネスブログに掲載したものを転載したものです。

炭水化物に関する噂

甘いものや脂っこいもの。

これらで太るのは前々から知っていたので、

おっ、これは避けようなんて思ったりする。

こんなことは、みんな知っているのだ。

で話は、丸亀うどんに移る。

ここのうどんはなかなか旨いので、

一時よく食っていたが、

あるとき、うどんは炭水化物で太ります、みたいな話を

テレビで聞いてしまった。

そう? そうなんだ…

私はいままでこういうことをあまり考えなかったので、

うどんにでかい天ぷらを乗せ、

たまごを混ぜてグダグタにして食うのが好きだった。

そうか、あの旨いうどんは炭水化物だったのか。

で、スパゲティーはどうなのと奥さんに聞いた。

すると、なんとスパも炭水化物ではないか!

ふわぁぁっ、炭水化物は旨いものばかりなのである。

これはミステリー。

で、炭水化物をずっと調べるにつれ、

ご飯もパンも炭水化物だったことが判明してしまった。

こうなると、私はほぼ毎日、主に炭水化物を軸に

砂糖とか塩とか油を摂取していたのである。

うーん、こうなると、敵は手強いと思った。

こいつらを避けるためには、

ほぼ味のない蕎麦を食って暮らすしかないのか?

そんなことを考えた或る日、

どうにもこうにも腹が減ってしまい、

セブンでこってり旨そうなドーナツを買って、

外でぺろっと食ってしまった。

うん、旨い!

このドーナツの油と砂糖は、すでに折り込みの太る成分なので、

ここんとこ、我ながら許すというおおらかさ。

しかし、ドーナツの主成分を考えるにつれ、

あれって炭水化物じゃねーのと思い始め、

その日、えらく後悔した覚えがある。

となぜか私は、炭水化物に対して厳しい一面がありまして、

簡単にいうと、炭水化物を敵視していたときがあります。

炭水化物はいろいろなものに姿を変え、

ぱっぱっと私の前で旨いものに変わる。

ここがイライラする。

例えば、せんべいの主成分が炭水化物だったと知ったとき、

私は炭水化物のあこぎなやり方に激怒し、

もう騙されてなるものかと徹底的に調べたのであります。

するとです、驚くなかれ、

食い物って、主にほぼ炭水化物でして、

これを食っていかないと死んでしまうほど、

人類にとって大事なものらしいということを、

知ってしまうのでありました。

ほほぅ、そうでしたかということで、

私は炭水化物に対する見方が変わり、

とりあえず怒りの鉾を納めました。

で炭水化物を徐々に理解し、

彼らに対する人類貢献の度合いを少々認識し、

そしてそれは、

後に尊敬の念に変化したのでありました。

炭水化物万歳!

今日も私は炭水化物と仲良くやっています。

炭水化物は、いい奴です。

ぜんぜん痩せませんが、

とりあえず丸亀うどん、万歳!

また、行こうっと。

冬のキツツキ

最後の枯れた一葉が

枝を離れる

やがて葉の舞が止まると

静子は足元に目をやり

歩きだした

この町は

むかし愛したことのあるおとこが

暮らしていた

駅に向かう歩道の両脇に

街路樹が整列するように植えられている

そのひとつひとつが

静子に冷たい視線を投げているようで

足は徐々に速まる

初めてこの町を歩いたとき

傍らにそのおとこがいて

公園でもいかないかと

静子を誘った

思えば

あのときも冬だった

まる裸の木々の枝の

しなやかな伸び様が

傾く陽に

濃い影を映していた

そして

誰もいないはずの公園に

コンコンコンと乾いた音が

響き渡る

おとこが公園の奥の木を指さす

大きな楡の木が

豊かな枝を広げ

太い幹に

小さな鳥がしがみついた

盛んに嘴を動かす

静子はじっとそれに見入った

おとこはその鳥の姿に慣れている風で

静子を見て笑っていた

その鳥を

静子は

そのとき初めて見た

ひび割れた模様のその幹に

鳥は幾度も幾度も嘴を突く

木片が飛び散る

それがなんという鳥なのか

なにをしているのかと

静子は思うのだが

深く考えようとはしなかった

そして

それをおとこに

尋ねようともしなかった

マフラーに手を絡め

足速に歩きながら

静子はあのときのことを

考えていた

あのおとこは

私のことを本当に

愛してくれていたのだろうか…

駅前のターミナルの雑踏で

静子はふっと我に返った

駅舎に入ると

暖房と人の熱気で

息苦しさを覚えた

改札を抜け

人の列に流されるように階段を降りながら

もうこの駅には二度と降りないだろうなと

静子は思うのだ

無意識に噛みしめた唇から

少し温んだような血の味がした

愛の、クラウン。

トヨタが、遂にピンクのクラウンを登場させた。

TVCMを観たが、正直うーんと唸ってしまう。

ピンクのボディカラーは特別色らしいが、

この色を前面に打ち出すには、当然訳がある。

曰く、ピンクは愛の色らしい。

という訳で、クラウンが突然、愛を語り出したのだ。

このCMには、たけしとジャン・レノという大物が共演。

「愛は勝つ」という唄をモチーフに、

クラウンの新しいコンセプトを、

力技で語っているようにも思える。

キャッチフレーズは、

「権力より、愛だ」

で、ピンクのクラウンなのだ。

それが格好いいかどうか、

そしてクラウンが愛を叫ぶことに、

私のアタマはしばし混乱した。

クラウンといえば、かつては当然ように白だった。

ムカシから白いクラウンは、ある意味、

成功者の乗り物だったのだ。

中小企業の社長さんも、

サラリーマンとして順調に昇進したお父さんも、

最後の「上がり」のクルマとして、

みな白いクラウンを選んだ。

その頃のクラウンのキャッチフレーズは、

「いつかはクラウン」

頑張って努力して、いつの日にか

クラウンに乗れるような人間になりたい…

そういう意味合いが、

「いつかは、クラウン」というコピーに込められていた。

また、

クラウンは成功の証としてのシンボルだけでなく、

日本の代表する高級車であり、

気品と風格も兼ね備えているという点で、

右に並ぶクルマはそうそうなかった時代もあった。

ライバルとして日産セドリックが挙げられるが、

ブランド力として、クラウンの方に軍配は上がった。

これらの評価は、クルマの性能ではなく、

やはり広告によるイメージの力が担っていた、

ように思えるのだが…

そして、

クラウンは今更ながら、権力を捨てた。

権力はレクサスにバトンタッチしたのかな?

はたまたとうの昔に、ベンツに奪われていたのか。

今頃になって愛に気づいたクラウンは、

まずピンクのボディカラーで、

出直す事を決意したのだ。

で、愛はピンクなのかどうか私はよく分からないが、

急にそんな事言われても困りますと、

かつて置いてけぼりを食わされた家族とか恋人からは、

かなり責められそうな気がするクラウンの、

今回の方向転換。

人に例えると、

そんなこといまごろになって言っても遅いわよと、

そっぽを向かれるのが関の山のような…

調子いいゾ!

しかし、

「生まれ変わるためだよ」とたけしが真剣に語る表情に、

トヨタの必死さがみえるのは、私だけか。

ちょっと様子をみようと思う。

そういえば、純と愛(いとし)の結末って、気になるなぁ。

意外とNHK朝ドラのファンです。

永く観ているので、

「純と愛」の違和感はかなりのものがある。

純と愛だから、

単純に純愛ものだろうと思っていたが、

そうではなかった。

とにかく最初から、NHKの朝ドラとしてはあり得ない、

訳ありばかりのてんこ盛りで、話は進む。

で、ふと気づいたら、

登場人物の誰をも、私は好きになれないということ。

これって、致命的。

まず、純という主人公は、

綺麗とかかわいいとかの次元ではなく、

とにかく落ち着きがない。

いつもガチャガチャしている。

そして、常に感情的な物言い。

料理が上手くないという設定も、

このドラマの狙いだろう。

彼女の家族も、かなり癖のある性格づけで、

このドラマを、

余計とっつきにくいものにしている。

相手役の愛(いとし)も、

例えば霊感があるとか精神的に病んでいるとか、

作為的に風変わりな奴に仕上げてあるので、

そこが斬新といえばそうなのかなと思う。

そして、弁護士である彼の母親も、

かなり尖った性格の持ち主。

でである。

交わす台詞がいちいち嘘くさい。

この流れで、前半がすでに終わってしまったのだ。

正直、このままだと、

毎朝観るのが、かなり憂鬱になる予想。

なんだか、見終わった後のやるせなさだけが残るような…

いつもの朝ドラとは、明らかに違うな。

例えば、純の母親が吐く台詞のひとつに、こんなのがあった。

「やはり純をあなたと結婚させなければよかった」

愛に向かって、この台詞を平然と言ってのける様は、

かなり異様だ。

このドラマでまず目につくのは、

言ってはいけないことばを、平然と言ってのけることである。

うがった見方をすれば、それが作者のめざすものと想像できる。

脚本の遊川和彦という人は、かなりのベテランだそうで、

調べるといろいろ戦歴が出てくる。

代表的な作品は、やはり「家政婦のミタ」と、

「女王の教室」だろう。

他、田村正和が主演の「オヤジぃ。」や

「演歌の女王」なんていうのもあった。

「家政婦のミタ」は、

鬱屈した家族のなかに家政婦としてミタが入ることにより、

最後はミタの影響で家族がまとまるというような話だったが、

最初からかなりの違和感で、話を強引に引っ張っていった。

そして、その違和感がラストのどんでん返しで、

それまで視聴者がずっと引きずっていた憂鬱を払拭する。

これは、ラストの鮮やかさを際立たせるための、

ドラマの新しい昇華法なのか。

「純と愛」も、この匂いがぷんぷんする。

意図的な環境設定。

あり得ない、登場人物の行動。

救われない台詞の数々。

しかし、作者が、

NHKの朝ドラということを意識してではなく、

故意にあり得ない斬新さを狙うでもなく、

最後のどんでん返しがあるでもなく、

このまま淡々と後半が進むとしたら、

これは救われない話だ。

私の勘ぐりが過ぎたと反省しなければならない。

だとしたら、

このドラマはリアリティをめざしているのか。

それならば、いまはそのような時代なのだと、

作者は警告を鳴らしているのかな。

どうかこのドラマが、

私の勘ぐり通り、斬新でありますように。

最後に、

とんでもないどんでん返しがありますように。

要は、

作者お得意の「お伽話」に仕上げて頂きたいのだ。

ああ、正月から、先行き不安。

ふと、世間というもの、

人の気持ちなんぞが気にかかってしまう訳で…