「いま」という時代の広告表現

ツィッターやmixi、フェイスブック等のSNSを除くと、

ネットはほぼ検索の世界である。

で、検索をしていて思うことだが、

目的に辿り着く前に、

アレコレと売り込みが始まる。

ポータルサイトをぼぉ~っと眺めていても、

クリックの先で、

いつの間にか、なにかを売り込まれている。

油断も隙もない。

そういう私も、サイトづくりなどの仕事をしているが、

それが楽しいかと聞かれると、

最近は正直「うーん」と考えてしまう。

企画・制作者として売り上げに貢献できるのは、

素直に嬉しい。

が、表現する一人として思うところもあり、

ムカシのほうが良かったと思うこともしばしばだ。

ネットは、

検索で辿り着く先の情報を見聞し、

その親切で事細かな説明に納得したりして、

ちょっとその気になったりもする。

また、知り得ない情報を発見することもあり、

思わぬ勉強にもなる。

しかし、

キーワード検索で訪れた先のリスティング広告は良いにしても、

或る記事などの内容に連動する目的でつくられたコンテンツマッチ広告は、

追いかけ過剰の感もある。

バズの類いに至っては、

商品や事柄にまつわる噂や推薦で溢れていて、

文字通り、もう視覚の騒音だ。

ネットの特質といえばそれまで。

そういえば広告の性格もひと昔前と違い、

マーケティングテクニックを駆使した広告やサイトも多く、

いまは、いわば延々の説得型が主流となっている。

そして、それを証明するかのような数字と、

お客様の声の数々が、コンバージョン(成約)を後押しする。

考えてみれば、検索で辿り着く先は、

自ら探す、いわば能動的な行動であり、

その先に納得させられるものがあるのだから、

当然コンバージョン率(成約率)も高くなる。

このとき、広告やサイトはロジックで構成され、

後述する手法を完全にマスターすれば、

サイトの持ち主は、億万長者も夢ではないのかも知れない。

最も、世の中はそんなに甘くはない。

いまの時代の広告づくり、サイトづくりは、

苦労が絶えないのだ。

サイトの仕掛けの裏はいま、

数字やグラフで詳細をチェックできる。

アクセス解析は、

訪問客の入り、滞在、離脱等を、すべて記録する。

裏を返せば、

リスティングなどのキーワード広告は、

このアクセス解析に則って各所を改善すれば、

より高い売り上げをめざすことも可能である。

それはコピーの改善であり、デザインであり、

値付けの的確さを追求するものでもある。

いろいな角度から、広告の検討を加えることができる訳だ。

こうした効果測定は売り上げを改善し、

同時にクリエーターや制作者に、

科学的アプローチに基づいたチェック(文句?)を入れることもできる。

要はビジネスなので、

そこに昭和の匂いのするような文学的表現は不要と思われる。

そして、美しいデザインではなく、売れるデザイン。

いまの広告は、すべてがこのように動いている。

視点を変えれば、

ムカシに較べて味も素っ気もない。

売り込みに優れた表現だけが生き残り、

そうした表現が蔓延するいまのネット広告に文化があるのか、

と問われれば、

そんなものがあるのかどうか、怪しい。

いまのネット広告は、感覚ではなくロジック。

遊びではなく、計算。

文学・アート的ではなく、説得が多勢を占める。

そして、余韻と余白。

ここが実はムカシの広告の面白いところなのだが、

これを無駄といわれるのが、

いまという時代の広告の姿なのだ。

的確に時代の匂いを嗅ぎ取り、

人の心を反映するのが広告である。

あなたも私のように、

いまの広告を世知辛いと感じたなら、

きっとこの時代は、

そのような世の中なのだろう。

走るおっさん

最近はジョギングブームなので、老いも若きも走っている。

私も近くの運動公園へちょくちょく行くが、

ホントにみんな元気に走っている。

で、私の場合は歩くのみ。

それだけ。

たまに、ちょっとまねごとで走ってみるが、

慣れていないから、これが辛い。

ハァハアとすぐ息が上がってしまう。

「みんな凄いなぁ」

私がぼぉっとして歩いていると、

いつものように、横をスッと走り抜けるおっさんがいる。

いつもみかけるこの方、痩せ形ですらっとした体型で、

みたところ、年はかなりいっている。

定年も迎え、ジョギングに没頭しました、という感じ。

真冬だというのに、薄い紺のウインドブレーカーのみで疾走。

で、いつも息なんか全然乱れていないのがこのおっさんの特徴なのだ。

思えば、彼を初めて見かけたのは、いまから2年前になる。

夏のクソ暑い日の午後、景色もとろけそうななか、

私が冷えた缶コーヒーを飲みながら日陰で涼んでいると、

誰も走っていない公園の外周コースを汗だくで黙々と走っているのが、

このおっさんだった。

以来、会う度、彼は常に走っているのだ。

そのなんというか、情熱っていうのかな?

このおっさんのひたむきさは例えば修行僧のようでもあり、

マラソン大会を控えた体育会系の学生のようでもあり、

さらにいえば、

この「おっさん」といういきものが、

本能のままに走っているようにも思えるのだ。

私は、この方が他の人と談笑したりゴロンとしていたり、

ドリンクを飲んでいたりするのを一度もみたことがない。

おおげさだが、おっさんは常に走っているのだ。

とまらない。

で、24時間走り、365日走っている妄想が、

もう私のアタマで固まってしまった。

時々、表情をちらっと覗くのだが、これが分からない。

楽しそうという感じではなく、そうかといっ辛い感じもない。

強いて挙げれば、無表情という表情をちらつかせる。

で、或る日このおっさんはなぜこんなにいつも走っているのかを、

私は無意識に考えていた。

子育てもとっくに終わったろうし、

家では長年連れ添った奥さんが?

いや、ひょっとすると先立たれたのかな、とか…

で、いまは独り暮らし。

趣味もこれといってつくる暇がなかったんだよな。

現役の頃は、中堅の工場の現場で部長職を努めていたが、

いまはそのつきあいもなくなり、近所づきあいもなく、

やることといったら3度の食事と寝ること以外になし。

おっと、テレビは大好きだっだ。

なので、テレビショッピングの商品にも蘊蓄を傾ける。

で、このおっさんが或る日テレビを観ていると、

「頑張れ!中年」みたいな番組をやっていて、

その日はジョギング特集だった。

「家のなかでいつもゴロゴロしていては健康に長生きできませんよ」

とかいうフレーズにちょっと心を動かされ、

これなら俺にもできるかな、と…

ちょっと走ってみようかな、と。

で、このおっさん、情熱の冷めない翌日に、

即イオンのスポーツ用品売り場にでかけ、

店員さんのいわれるままにジョギング用品を買い揃えました。

で、ここからおっさんの伝説が始まった…

以上は私の妄想なのですが、どうもこれ以外に出てこないんだよな。

クリエィテイブなストーリーが全然出てこない訳。

これには、さらに続きがあって、

人は走り始めると止まらない、という仮説も考えてみた。

いきものはみな、

一端走るのをやめてしまうと死んでしまうという恐怖に取り憑かれるのではないか、

という、もう仮説ではなく、また妄想ですね。

これはマグロなんかもそうだが、泳いでいる限り生きている、

生きていられる、という本能が芽生えてしまった例として考えた。

で、たどり着いた結論が、

このおっさんは走っている限り死なないと信じている、ということ。

裏を返せば、走るのをやめると死が待っている、ということ。

エンドルフィンという心地よくなる脳内物質が、

ランニングハイのときに放出されるというので、

この説も一時考えたが、

このおっさんをイメージする限り、私はこの説を自ら一蹴した。

だって、

もっとどろんとした湖底に沈む妖気のようなものを感じる訳。

今日もあのおっさんは、あの運動公園で走っているのかな?

というか、どうか走っていてくださいよ!

でないと、怖い!

ヘロン(青鷺)

丹沢山塊の頭が、うっすらと白く化粧している。

2月の風の強い日に、

僕は空に吹き飛んだ白い雲のちぎれを見に、

視野の広がる場所を探して、クルマを動かしていた。

国道を逸れ、細く急な坂道を下ると、

里山を臨む河川沿いに出る。

そこは駐車場が整備され、数台のクルマがとまっていた。

河原の土手の道を、中年のマラソンランナーがのんびり通り過ぎる。

近所の農家のおばさんたちが、駐車場の先の公園で談笑している。

快晴。

きれぎれの雲はもう東へと流れて、

真冬の日射しだけが、吹く風を通り抜け、

あたりの景色を明るく照らす。

ほぼ、空全体が見渡せるほどの広大な河川敷に立つと、

空を遮るものは、遠方の丹沢の連なりだけとなる。

枯れた色の田園の向こうにこんもりした丘があって、

鳥居が傾いて立っている。

その後方に控えた里山の麓には、ぽつぽつ民家が並び、

模型のような絵柄が僕はとても気にいった。

川沿いを歩きながら水を覗くと、

大きな鯉がゆったりと泳いでいる。

上流に向かって歩くと、カモの家族だろうか?

小ガモも混じって行列をつくり、みな同じ動作で

川を下ってゆく。

と、頭上に大きな影が現れ、

影は水面に沿って上流へと羽ばたいた。

その大きな鳥は悠然と羽をひろげ、

幅は優に2㍍を超えているようにみえる。

足を早め、鳥の舞い降りる水田跡へと走った。

薄青いその勇姿は、舞い降りた途端、微動だにせず、

直立して首をもたげたまま、

山並みをみつめているようにみえる。

空の白いちぎれは、もうとっくに東に流れていて、

寒風のなかの太陽がぎらつく。

そのきりっとした勇姿にみとれた僕は、少しづつ間合いを詰める。

大鳥は依然、首すら動かさず、山の方に向いている。

あぜ道を降りて僕は更に距離を詰め、カメラを構える。

そのとき、勇姿は一切こちらを振り向きもせずに、

ふわぁっと大空に舞い上がった。

翼に陽が一瞬反射し、僕は目を細めた。

次の瞬間、翼はより大きくなり、

それは西洋の紋章のマークのような美しさを描いて羽を広げ、

ゆっくりと里山の方へと羽ばたいていった。

その姿を見たのは、僕だけだったように思う。

帰ってネットで調べると、

どうも青サギという鳥に似ている。

あれから数回、カメラを手にその河川敷へ出かけている。

しかし、あの勇姿には、いまだ出会えてはいない。

くよくよするな!

成長するということ

妙な宗教の教えに縛られたり

下らない教義で自分を高めようなどと考えないで欲しい。

まずは誰かにキチッと挨拶でもしてみること。

できれば、笑顔でね。

これを習慣づける…

それからだよ。

若き悩みの解決法

考えるのをやめようなどと、

人間の不可能と戦うのはやめにしよう。

考え、考え、考え倦ねたら、

外に出る。

とにかく出るんだよ。

そして歩いて歩いて歩くのがいい。

汗をかくまでね。

そう、夜はやさしく君を包むだろう。

ひとりの効用

たまには、テレビを消すことをオススメする。

そして独りの時間をつくる。

できれば長く永く。

そう、いろいろアタマに浮かんでくるだろう?

それが良いことだろうと嫌なことだろうと、

ゆっくり思考の海に浮かべてみる。

答えはそうしてみつけるもの。

自分を生きる

人生は不公平にできている。

それも、とびっきりにね。

でも、君は誰といつ何を較べたの?

その誰かのすべてを君はホントに知っているのかな?

ひょっとして、

その物差しは、いい加減なゴムでできているんじゃない?

のびきっているのさ…

そう思って、自分だけの人生を生きる。

それって、賢いことなんだけれど…

正しいことよりも…

正しいか間違っているかなんて、

実はどうでもいいことなんだ。

結果、それを勝ち誇ったところで、

きっといつかむなしくなる。

そんなもんさ…

大事なのは、そのとき相手を思いやったか?

その一点じゃないかなぁ。

自己肯定

なにをやっても満足できない。

果てはこれで良かったのかと常に思い悩む。

それって、君の完全主義?

いや、自己否定。

だけどね、時間はいまさら戻らないよ。

いまやるべきことを、精一杯やる。

それだけだよ。

それが最善ということ。

大切なのは、まず自分を肯定してあげる。

認めてあげることなんだ。

不審な訪問者

まあ、自分を客観的に眺めて、割と不審人物の気配が漂っている、と思う。

が、中身はそんなに不審なことは考えてはいない。

たまに、なま暖かい風なんかが吹くと不審なことを考えるが、

そうそう実行に移したりしないのが、おとなというものである。

平日の午後、メシも食ったし、日射しなんかを浴びていると、

眠くなるのだ。で、うとうとしていたりすると、

不意に玄関のチャイムが鳴る訳。

以下の話は、私が奥さんから聞いた体験談を基に、
テキトーにでっち上げた話です。

●不審な訪問者 その1

「どなたですか?」

「あっ、どうも! にしかわです」

「えっ、にしかわ? どちらのにしかわさんですか?」

「にしかわです」

「だから、すいませんがどちらのにしかわさんですか?」

「ふとんの西川です」

ガチャ!

●不審な訪問者 その2

「近くで工事をしている者なんですけれど、ご挨拶にきました。

玄関までお願いします!」

「あっ、そうですか。チラシかなにかですか?」

「いえ、ご挨拶ですので、玄関までお願いします」

「お話はなんですか?」

「いや、玄関まで来ていただかないと」

「だから、なんのお話ですか!」

「チラシをお配りしているんですけれどね」

ガチャ!

●不審な訪問者 その3

「あっ、どうも! あの、通りがかりの者なんですが、

お宅の屋根、めくれていますね?」

「はあ?」

「だから、お宅の屋根が傷んでいると言っているんです」

「それは、ご親切にありがとうございます」

「屋根にあがって見ましょうか?」

ガチャ!

●不審な訪問者 その4

「○○さんのお宅ですよね?」

「はい、そうですが…」

「やっとみつかりました。お宅の家が」

「はあ…」

「いやぁ、あのですね、お宅の床下換気扇に発火の恐れがありまして、

で、こうやって調査をしている次第です。はあはあ」

「ホントですか?」

「もちろん、これは調査に基づいた訪問ですので」

「あっ、はい。で、どうすればよろしいのですか?」

「交換ですね」

「えっ、そうですか。…
…失礼ですが、おいくらかかるのでしょうか?」

「そうですね、30万くらいみていただければ大丈夫です」

ガチャ!

●不審な訪問者 その5

「奥さん、りんご買ってくれんかねー!」

ガチャ!

●不審な訪問者 その6

「となり町に住んでおります○○と申します」

「はい」

「最近、子供たちがとても荒れております。

そのことについて少しお話したいと思いまして…」

「いや、○○さんですか? ちょっといま忙しくてですね」

「あっそうですか。では、失礼ですが、お宅さまはキリストについてですね

どう思っていらっしゃるのか…」

ガチャ!

●不審な訪問者 その7

「あのですね、この辺りの担当をしています○○の佐藤と申します。

いま、光回線の調査をしているのですが、お宅の光回線と××の光を比べてみた結果、

××の会社の回線が圧倒的に安いことが判明しました」

「そうですか、それは主人がよく存じていますので、いまはいいです」

ガチャ!

(再びピンポーンとチャイムが鳴り続けるので、やむを得なくインターホンに出ると…)

「いいじゃありませんよ! 奥さん!どういうことですか!」

再び、ガチャ!

↑の件に関しては、後日私がいたときに同じ奴が来たので、二度と来れないよう話をつけました!

繁盛するサイトをざっくり考える

●看板は重要

反応率の高いサイト、よく売れるECサイトというのは、

トップページにおいて、まず見やすい、一目で内容が分かることが

なにより優先順位の第一となります。

なにをやっている会社なのか、ひと言でいうとどういうお店なのかを

ズバッと語っている、またはデザインで見せている。

これに尽きます。

特に、看板は大事。

●写真にひと工夫を

ここでは、キャッチフレーズとビジュアルのコンビネーションは欠かせません。

当たり前だけどね。

で、写真などは、皆さんあまり難しく考えずに載せることもあるとあるとは思います。

が、訪問者はその写真を、実に真剣にチェックしています。

新鮮さをアピールしたければ、そのように。おいしさを見せたければ、そのように。

また、人柄を伝えたければ、そのように撮らなければならない。

ここはひとつお金とアタマを使いましょう。

●直帰率を下げる

また、デザインに関しては、センスは良いに超したことはありません。

業種によっては素人っぽいサイトに人が集まる、というデータもあるようですが、

センスが問われる業種は、やはりデザインに力をいれなければ、お客さんは帰ってしまいます。

トップページで、直帰率を下げる。

これはもう至上命令のようなもので、サイト内で引き続き滞在してもらうことは

コンバージョンへの第一歩といえます。

次を見てもらう、また興味がもてるサイトというのは、

以上のようなエレメントが欠かせません。

●特長を具体的に伝える

例えば歯医者さんなら、どんな先生がどんな技術とサービスであなたに治療をしてくれるのか?

そこをズバッと語りたいものです。

無痛治療をしてくれる、とか、噛み合わせについてのオーソリティーであるとか…

そのような特長付けは、訪問者の興味をそそります。

上述のどんな先生が、というのは、やはり顔写真は載せたほうが良い結果が得られる。

これは、実証済みなので、後は実行あるのみです。

だいたい、歯医者なんて星の数ほどあるので、選ぶ方も大変です。

口コミサイトもアテにならない。

とすれば、ここはしっかり語る必要がある。

で、細かいことを言えば、院内は清潔第一であるとか、駐車場が広いとか、駅近であるとか、

そうしたメリットを、ひとつひとつ、しっかり語ること。

歯医者さんの場合は、実際に通うので、マップもしっかり載せたい。

この場合は、絵地図などの個性的かつ面倒なものは省いて、グーグルマップ。

これで良いのです。

●サイトコストと売り上げは比例する?

こうした積み重ねが繁盛サイトを生むのですが、本気で制作するとなると、

実はかなり面倒くさいもの。

時間もコストもかかります。

いま、こうした手間をかけない、いわゆる見積もりで安いサイトが幅を利かせています。

これはハッキリ言って間違い。

●検索順位を上げる

繁盛するサイトというのは、当然ながら、或るキーワードに於いて、

上位に位置しているものなのです。

検索順位でも優位に立っている。

でないと、まずお客さんは訪れません。

例えば、おいしい産直の魚が食べたい。

そんな思いで 産地直送 マグロ というキーワードで

検索する。

と、誰でも検索の1ページから見ますね?

で、慎重な方とか丁寧にみる方でも、だいたい3ページまでが限界でしょう。

だって、疲れますからね。

で、ここで大事なことは、やはりキーワードの選定と、

それに伴う検索順位を上げる技術が必要になる、ということ。

●内容の薄いサイトは検索順位も下がる

ここを説明するのはかなり大変なので、ざっくり話すと、

まず、ぺらぺらなサイトなどはつくらないこと。

いまどき、薄っぺらなサイトは、内容も希薄。

いくらテキストを詰め込んだところで、検索エンジンには見向きもされません。

制作コストを下げると、売り上げも落ちる。

事実、こうした話はよく聞く話ではあります。

語ること、伝えたいことをしっかりメモし、

それを各カテゴリー毎に分けて、サイトの設計を考える。

この作業は言い換えれば、

訪問者にとっても親切なサイトをつくることと同じ結果となるので、

よくできたサイトというのは、検索順位も自然と上がることとなります。

●検索エンジンの特徴

現在、検索エンジンというのは、そのサイトへ訪れる人の滞在時間などもチェックし、

そうしたデータをも蓄積しています。

それを元に、検索順位など、結果が反映されるので、

やはり良いサイト、為になるサイトづくりは、必須といえましょう。

ざっくり話しても、以上のようにかなり面倒な話になるのですが、

これが現在の繁盛サイトのアウトラインです。

ノンアルコールビールという市場

ノンアルコールビールが登場したとき、果たしてこんなものが売れるのか?
こうした予想は誰もがしていたように思う。

パチモン、偽物。

当初はネガティブなイメージがつきまとっていた。
が、意外にも、ノンアルコールビールは、欧米では古くからあった。
アメリカの禁酒法とか宗教上酒を飲まないアラビア諸国への輸出とか。

そうした需要だから、やはりメジャーな商品にはなり得ないし、少しづつ廃れていく。

しかし、日本におけるノンアルコールビールのポジションは、
そうしたネガティブを次第に払拭しつつある。

メーカーとしては、それなりの調査に基づいたうえでの決断なので、
売る自信があったのは当然のことと思う。
が、英断には違いない。
冒険的マーケティングという用語があるのだろうか?

私の酒飲みの友人は、この飲み物を邪道と斬り捨てる。
が、或るときからアルコールを止めた私としては、
ノンアルコールビールは、気になる存在だった。

そもそも、アルコールを止めた一端が、自宅が駅から離れていて、
クルマが手放せなかったのが一因であり、
深夜のタクシーのバカ高さに呆れたことに始まる。
重ねてその頃、アルコールを飲むと鼻が詰まって苦しくなる症状を発症、
自然と飲む気が失せていった。

以来、酒は止め、あれ程足繁く通った酒場へも、
ピタリと行かなくなってしまった。

が、性分は変わらなかった。
或るときから、酒場に未練が出てきた。
やはり、あの雰囲気が落ちつくことが分かった。
それが大衆の焼き鳥屋だろうと気取ったバーだろうと、
どこでもOKということも確認。
最近はよく、食事の際に、ちょっと立ち寄るようになった。

ドリンクは当然ノンアルコールビールとなる。

私的には、タイムリーな飲み物であり、味も遜色ない。
酔えると言ったら嘘になるが、それに近い気分を味わえる。

ノンアルコールビールは、そのポジションが微妙な位置にあり、
性急に考えると、ネガティブまたは不要のものと考え勝ちだ。
が、よくよく考えると、そこに商機はあったのだ。

そのキメの細かいマーケティングは、
私たち日本人にしか発想し得ないものとも思える。

例えば、お酒の飲めない人たちに、飲むというスタイルとマインドを味わってもらう。
また、お酒を飲まなければならないシーンで、飲めない人がそれなりに飲めるもの。

かようにこの商品は、場とシーンで、
そこにどんな商品があるとみんなハッピーか、から発想されている。

パイは多くはないが、その市場は確実に存在する。
そこに、新しいライフスタイルも垣間見える。

そこを掘り当てたのが、日本のノンアルコールビールという商品なのかも知れない。
冒険的マーケティングの勝利だ。

流星

アジル流星群が見られるのは

次は98年後らしいよ

日本という国の春の丘に寝そべって

アタマに手を組み

僕らは

真夜中の宇宙を凝視する

(光りの流れる方へ瞬時に反応するよう

夕方少し目を休めたんだ)

その流星は

だいたい南西に降り注ぐ

テレビの事前情報だが

こうして見ていると

決してシャワーのように

現れたりはしない

目を休めたのね?

そう、寝たのさ

多恵はこのいまの状況を

まるで把握していない

今日のこの夜の天体ショーの意味に

ふたりの相違はある

僕は修正を加えることもしなかった

ただこの宙を

多恵と見たかったのだ

多恵は現実主義者で

常に貯金の残高を気にしている

そこがかわいい

僕はこのときのために

昨夕

走らせていたクルマを脇に止め

弱い夕陽に照らされて

シートを倒し

爽やかな目覚めがくるよう

濃いめのコーヒーを飲み干してから

仮眠していた

そのことを多恵に話すと

ふーんと

頬杖をついた顔をこちらに向け

私はずっとメールしていたのよ

と言った

眠くないのか?

うん、眠い

………

もう疲れたね

そろそろ帰るか?

うん

僕らは立ち上がった

もう2時間もいたんだよ

時計を覗き込むと

午前3時45分を差していた

明日キツイね

帰り際に南西の宙を見上げると

線香花火のような光りが現れ

すっと一筋流れると

遠い海の上の群青色に消えた

見えた!

見た?

見たよ

僕は

そのとき思った

この地上ってなんだか

良いこともなかったような

いろいろあって

面白くもなかったような…

いや

だけど

割と楽しかったし

まあ今日まで暮らしてきたんだしと

そんなことを考えていた

そして多恵の肩に手をのせる

寒いね

うん

ホントは抱きしめたい

多恵

お前と次に再び出会えるのは

何年後かな?

そう考えると

今夜の流星は

僕にとっての約束なのだ

僕はあの流星に約束した

忘れないでくれよ

僕はいつかいなくなるだろうし

多恵だってもう少し…

同じなんだよ

でも僕たちは生まれかわりたい

そして地球の丘で

再び多恵と

この流星を見るのだ

なあ多恵

また一緒だぞ

なあ多恵

また一緒にこの流星を

見ような

98年後に

また同じ時代を生きてみたい

僕は酒を煽っている

毎日毎日

飲んだくれることにしたんだ

(このとき僕は寿命を縮めようと考えていた)

多恵の細いうなじが

日に日に張りを失っていて

今夜は足もおぼつかない

多恵、大丈夫か?

うん

多恵のシルエットは

まるで背景の暗さに溶けていくかのように

真夜中の闇と同化してゆく

多恵

うん

俺、やっぱり酒やめるよ

やり直してみる

頑張るからさ

それがいいよ

またこの流星

一緒に見ようぜ

ええ

だけど98年後でしょ?

一緒に見よう

決めたんだ

うん、分かった

また会えるといいね

また会える

そうするよ

多恵はもう永くはない

けれど

一端捨てたものを

また拾い集めて

僕もなんとかやっていこうと思う

多恵

帰ったら寝てなよ

うん、疲れた

ごめんな

高次ってそらが好きだね

なんで?

なんでって

この宙が

俺たちのことをずっと覚えてくれていると思うからさ

だって他に誰が覚えていてくれる?

いいね、そういうのって

そうだろう

だから俺は好きなんだよ

宙が

高次

死んだらどうなるのかな?

死んだら私どこへ行くのかな?

いいか

よく聞けよ

死んでも俺の近くにいろ

どこへも行くな

そうやって毎日毎日考えるんだ

うん、そうする

俺はまた働いて金貯めて

その金でお前のことなんとかなるように

頑張るよ

そんなことってできるの?

分からない

だけどそうするよ

うん

そうやって生きていれば

なにかこうパッとひらけるっていうか

なにかできる

そんな気がしてきてさ

独りになるって寂しいね

独り?

多恵、お前を独りにはさせない

俺から離れるんじゃないぞ

多恵、いいか

俺から離れるんじゃないぞ

多恵はそれから一ヶ月後に

あっけなく逝ってしまって

僕は泣きながら約束のことばかりを考え

いっそ泣くのをやめようと必死にこらえて

それから多恵にずっと

言い聞かせているんだ

「多恵、どこへも行くんじゃないぞ

ずっとここにいろ」

仕事が終わったあと

僕は細胞のことを調べ

宇宙の研究論文を読みあさり

時間と空間の移動について考え

ある宗教の教えを手がかりに

死後の世界を探索している

「要するに多恵、

お前の復活について

俺はずっとずっと

手がかりを探している」

そしてこう思うんだ

僕はアタマが良くないけれど

人はまた出会えるんじゃないか

強く思えば

また再会できるんじゃないか

とね

僕は科学的人間ではないけれど

非現実的なことを考える人間だけど

ひょっとして

人はもっと簡単にできていて

もっと強くできていて

それが惹き合えば

そうして願っていれば

いつか会える

とね

どうだい?

多恵

俺の声が聞こえるかい

多恵、

俺の声が聞こえるかい?

スパンキーの随想 その2

最強の共働き

山下達郎・竹内まりあ夫妻が、おのおの3枚組アルバムを出した。
いや、竹内まりあは3年前だけど、この際、同時期としておく。

で、私みたいな横着が聴いているので、さぞ売れていると思う。

それにしても、ふたりとも、いいうた歌うなぁ。
で、懐かしい。
特に、達郎の「ダウンタウン」は、私が出版社の新入社員の頃に流行っていて、
エポが唄っていました。
初期のウォークマンで聴いていたので、印象に残っています。
確か、新譜のページでレビューを書いた覚えがあります。

桑田佳祐・原由子夫妻も高級な(?)共働きですが、
いまは山下夫妻に軍配が上がる。
なんたって、達郎の音づくりが凝りに凝っている。

天災・人災

いま関東地方に住んでいるって、かなりリスクなのか?

いろいろと恐ろしい記事に出くわす。
今度は、首都圏に地震がくる、富士山が噴火するとか…

東北の次は、こっちになるのですかね?

あーあ、全然関係ないですが、
私は最近般若心経を買い直しました。
元々好きなんですが、やはりなんというか、
救いなんでしょう。
いまは、こうしたものをじっくりながめる時間が欲しいです。

あと、例の件で中国と一触即発ですね?
冷静に考えて、戦争なんてろくなものではないのは、
みんな知っている。
とにかくまあるく収まって欲しいものです。

あと、アベノミクスですが、これって失敗すると、
酷いインフレが起きそうな気がするんだけど…

かつてない危機が、依然として居座っています。

神頼みならぬ仏頼みです。

パピルス

電車のなかでケータイではなく本を読んでもらいたい…
そんなコピーの募集が、ある本に出ていたと息子に聞いた。
そのある本の表紙をみると、なんと懐かしい「ブレーン」(宣伝会議刊)

うーん、なかなか難しいお題、
とりあえずコピーを練る。

で、こんなん考えました↓

「紙に触れる指は、脳を休める、らしい。」

どうでしょ?

キャッチフレーズは、コピーのなかでも肝なので、
そこが難といえば難。ムズカシイ。

つくる過程で、特別の集中を要する。
新聞や雑誌のヘッドラインもこれに近いような気がする。

詩は、こうした要素が連続して要求されると、
私的には考えています。

ただし、素養は違いますけれど。

黄色いワーゲン

フォルクス・ワーゲン・ジャパンが、ビートルの新モデルを、
大々的にプロモートしています。
TVコマーシャルには所ジョージを起用。良い人選していますね?

で、黄色いビートル。洒落ています。
エンジンは、いまの時代を反映してダウンサイジング。
エコですね。

ちなみに私は、昔、オレンジ色のビートルを中古で買い、
改造に100万吹っ飛ばしてしまいました。
オイルショックの頃でしたが、全然エコなんて分からない時代。

空吹かし、全速で走る―これが私だけでなく、当時の若者の
クルマの扱いでした。

いまはもう年なので、選ぶならノンターボ。
淡いベージュのノーマル仕様のかぶと虫なんかがいいです。
これで、のんびり日本をまわるなんて、夢ですね。

湘南ビーチFM

このラジオ局、正直あまり知りませんでした。
周波数も最近知りました。
我が家は元々電波が入りづらい山あいなので、
Jウェーブとかも雑音だらけ。

エフヨコはよく入るのでたまに聴いていましたが、
湘南ビーチFMのほうが、なんだかすっと入ってくる。

このラジオ曲は、葉山マリーナの一角にあるらしいので、
横浜のランドマークタワーにあるエフヨコより、
より庶民的。というより、センスも良い。

で、最近ではネットでラジオを聴いている訳ですが、
雑音もなくクリア。
千葉のFMだって聴けるから凄いです。

ついでに、世界中のFMが聴けるアプリもありまして、
ラジオって結構世界中の人が聴いているのが分かる。

流行の曲から、ロック、ソウル、民族音楽の他、
なんでもあり。

ヨーロピアン・ジャズなんかも聴けます。

ネットは、いわばハサミです。
使い方次第と思います。

介護の迷宮

最近、知り合いから聞いたのですが、
知り合いと繋がりのある人の話によると、      
老人がその施設に入るとだいたい顔見知りになる。

で、最初は結構元気そうだったのに、
どの老人も次第に弱々しくなるという。

そしてだいぶ経ってから会ったりすると、
車椅子に乗っていたりすることが多いそうな。

うーん。

最後は、その方の顔を忘れてしまう位、
状態が悪くなっているのが常だそうだ。

その施設は、とにかく慢性の人手不足らしい。

帰宅を目標に一時入所するリハビリ施設のハズなのですが、
その施設の前に住んでいるある人の話が、
最近とても気にかかる。

そして後悔の念も…

ガキの文化

テレビを観ていて、いまどうしようもないのが歌番組。
ひいき目にみても、いい歌がない。
というか、惹かれるアーティストもいない状況。

ももクロなんていうのは、ギリギリ頑張ってもらいたいが、
秋元康プロデュースは、ホント飽きた。
というより、最初からうんざりなんだけどね。

モーニング娘のときもイライラしたが、AKBにはホント、
さっさと消えてもらいたい。

伊集院静さんも、昔はアイドルの作詞をしていたが、
いまはおとなの流儀なんかをきっちり語る人なので、
こういう人にAKBのことを聞いてみたいものだ。

ついでにいえば、これが日本のレベルと思われたくない。

もっといいアーティストは日本にいっぱいいるんだぞ!