お前の夢は金で買えるのか?

いきなり偉そうな奴にこう問いかけられると、

こちらも返答に困る質問ではあります。

金で解決できそうなものもあれば、

そうでないものもポツポツあるような…

で、

この宝くじの新商品「ロト7」のTVCMのシーンは、

走るハイヤーの車内から始まる。

車中で、部下の妻夫木君が、

上司の柳葉さんに話かける。

「部長はロト7って知ってます?」

「知らないな」

つれない返事を返す柳葉。

が、なおも熱心に説明する妻夫木。

ここで、なにげにロト7の特長が語られる仕組み。

うまいな。

で、みるみる柳葉の顔がこわばる。

そして、

いい加減にしろとばかりに、柳葉がこう返答する。

「なあ…。お前の夢は金で買えるのか?」

……………!

カッコイイ!

ここんとこは、柳葉の見せ場である。

クールにキメテイル。

が、あめ玉を入れているような口が、やはり尖っている。

眼光鋭く、あれっ、室井さんか?と思いましたが、
妻夫木君が「部長」と問いかけるので、あっ部長なんだなと…

で、キャラ全く同じ。

柳葉は、もうずっとこれでいくのだろうと。
これで食っていけると思いますよ。

このキャラは、権利と同等の価値がある。

著作権ビジネスにも相通ずるものがありますね。

さて、1人になった妻夫木が、つぶやく。

「かっこいい。やばい、涙出そう」

と、ふと見た先の宝くじ売り場に、

なんと、

あの柳葉部長がいるではないか?

バツの悪いシーン。

双方の驚きの表情が印象的だ。

で、ここんとこが笑える。

で、一体このコミカルさはなんだろうと。

思うに、

建て前がもつおかしさなのではないかと…

部下の手前、カッコつけた柳葉部長の見栄も、

渋さとなる。

が、根本は建て前がもつ胡散臭さか。

私たちは、本音と建て前を使い分ける。

そこんとこは、痛いほど分かる。

ムカシからそうしてきた。

幼い頃、母が「つまらないものですが」と言って、

誰かに折り詰めを渡していたのを思い出した。

つまらないものか?

私は、このやりとりは変だと直感したが、

後々やはりこれでいいんだと…

そうして育ちました、ハイ。

そんな国の建て前を凝縮したような柳葉部長だが、

その彼の本音が丸見えになったとき、

下世話な私たちは笑えると同時に、

心底安堵する。

世の中、夢というか、

まあ、金でなんとかなるものもあれば、

そうでない奥深いものはいくらでもある。

そんなこと、観ている側は、当然織り込み済み。

が、ロト7という商品を鑑みるに、

このCMが観る人を笑わせ、油断させ、

本音のところを引き出して、

あわや宝くじ売り場へ向かわせようとする。

つくり手の、ある意味自虐的な発想も、

功を奏している。

充分、喚起力がある作品。

ちょっと褒め過ぎか。

※このエントリーは、弊社ビジネスブログより転載したものです。

届く、パーソナル・マーケティング例

沖縄地方の特産には、いろいろなものがある。

シークァーサー、サーターアンダギーとか、

チンスコウ、ソーキそば、海ぶどう、そしてもずくなど…

以前は、沖縄の泡盛もよく飲んだ。

残波という泡盛は石垣島のものだが、

これはうまいしネーミングが気に入っていた。

残波…リーフで波が砕ける様子が目に浮かぶ。

雰囲気からしてうまい。

久米仙という酒もまた、名前良し、味良し。好きだったな。

沖縄には一度しか行ったことはない。

隣の与論島という島も行ったが、

ここはサトウキビ畑と珊瑚礁のリーフが美しい。

この島で泡盛を初体験した。

ベロベロに酔ったが、何故か翌朝は爽やかだった。

で、飯もうまい。

この辺りの食い物とか酒はいいね、という印象から、

後年通販を利用していろいろ試したことがある。

あるときウコンのDMが来て、

これはなんだかカラダによさそうと、頼んだことがある。

当時は酒ばかり飲んでいたので、ウコンはいいですよと、

確かそんなことが書かれていた。

で、ときは流れて私も酒を飲まなくなり、

こうした特産品も飽きた。

が、相変わらず電話がかかってくる。

DMも届く。

これは他でもよくあることだが、

ここの売り込みの特徴は、

なんだか他と違っていやらしさがないのだ。

DMの中身を取り出すと、直筆の手紙が入っている。

印刷かなとよく確かめると、直筆である。

うーん、やるな。

で、ふんふん感心していると、頃合い良く、

わざわざ沖縄から電話がかかってくる。

○○さん、お元気ですかとか、

最近おからだの具合は、とかコチラが買う意思がなくても、

嫌みなく話してくる。

こうなると私の警戒心も解かれて、

一応話しますよね。

それがマニュアルに沿った話でなく、

世間話なんかを織り交ぜ、

気がつくと沖縄の知り合いの人と話している。

そんな気になってしまう訳。

アドリブが利いているのだ。

DMの中身一式は、あるひとつの流れに沿ったもので、

そのセットに目新しさはない。

が、直筆の手紙というのは、どこも面倒なので避けて通る。

電話にしても、テレマーケティングのテーゼというのがあって、

それに則ってかけている。

が、他はもっと事務的かつスピーディーである。

そのあたりが他と違う。

まるごとひっくるめて沖縄なのである。

ビジネスにしては、かなりユルイ。

が、しっかり私に届く。

いまはまるで欲しくないものばかりなのに、

なんか買うものはなかったかなと、

再度DMをながめていた。

今度はきっと買ってしまう、だろう。

快く無駄金を使うであろう、

パーソナル・マーケティングの仕掛けなのでありました。

カリブの休日

ハードワークをこなし、

予定どおりに休暇をとった。

行き先は、もちろんカリブ。

これで3度目だ。

浜辺に腰を下ろすと、

一面の青い景色が私を出迎える。

冷えたカリブーンで喉を潤す。

ホワイトラムの香りが景色を揺らす。

フルーツの味わいが深い安堵感を生む。

程よい炭酸が喉を刺激する。

強すぎる光線が、心地よい。

椰子を吹き抜ける風の音が、

胸に染みわたる。

ゆったりと過ぎる時間。

波のささやき。

これは、日頃の疲れを癒やす、

自分へのご褒美なのだ。

心身から街の気配が消え、

私がまるごと自然のなかに溶けてゆく。

あぁ、

人はこんなにもおおらかになれるものなのか…

ちょっと酔ったかな?

私は冷えたカリブーンを、

再び口に運ぶ。

しろやぎさんからのメール

しろやぎさんからメールが届いた

くろやぎさんたら読まずに削除

仕方がないので返信書いた

さっきのご用事なあに

くろやぎさんからメールが届いた

しろやぎさんたら読まずに削除

仕方がないので返信書いた

さっきのご用事なあに

それから街でバッタリ会って

笑顔を見たらとても嬉しくて

きのうまでの誤解も解けて

仲直り

しろやぎさんはメールをやめて

くろやぎさんも同じように

そうしてなんだかラインを解除

フェイスブックも閉鎖して

ぶつぶつつぶやくこともなく

しろやぎさんもくろやぎさんも

それからみんなと会うようになって

そしたらとても喜んでくれて

ついでにその輪は広がって

そのうちだんだん

世の中

平和になったとさ

なんとかなるさ

仕事上、かなり精神的に追い込まれることがある。

打合せが重なる。スケジュールがタイト。

期日指定の仕事が終わらない。締め切りに間に合わない。

どうも良いコピーに仕上がらない。

デザインが決まらない。

そして、そもそも良い企画が浮かばない…

追い打ちをかけるように売上げが思うように伸びないと、

更に追い込まれる。

こんなときに限って、仕事上の事故が起きる。

不吉なときというものはあるのだ。

それは、自らの努力が足りないのか、

時勢が悪いのか、

運勢がよくないのか、

そんなことも考えてはみる。

が、いつも答えはみえない。

世の中はそのようにできているとしか言いようがない。

焦っていてもしょうがない。

落ち込んでいても、疲れるだけだ。

こうしたとき、私は、

人事を尽くしたなら、後はどうなろうとしょうがないと

いつからか考えるようになった。

だからまず、なんとかなるように全力を尽くす。

あらゆる知恵を出す。

最後まで走り続ける。

こうして天命を待つ。

これだけだ。

だから、なんとかなる、こともある。

どうにもならないこともある。

ときがくれば、おのずと結果は出る。

それがどうあろうと、それがすべてなのだ。

良かったこともあれば、

そうでないことも多々ある。

が、事象はすべて、

そういうもののような気がする。

なんとかなることもあれば、

ならないこともある。

だから、なんとかなるといつも心に決めて進む。

そして、むなしい事象はすべて、

しょうがないで片付けることにしている。

人間万事塞翁が馬

いや、

禍福は糾える縄の如し、か?

それとも

沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり、だ。

まあ、どうにかなるさ。

初心者が押さえておくべき コピーライティングのツボ

コピーライティングのノウハウといっても、

そう簡単にはまとめられませんが、

この辺りを押さえておけばなんとかなるというポイントを

幾つか書いておこうと思います。

さて、コピーライティングと言っても

要は文章なので、前提として分かり易く簡潔であること。

ここは共通です。ここは外せません。

コピーが他の文と違うのは、ポイントの押さえ方でしょうか。

が、ここが実は難しい。

作文の経験は誰でもあるとは思います。

そこをもう少し掘り下げて、或るもの・ことについて

売ることを前提に書く内容を考える。

簡単にいうと、これがコピーライティングです。

では、ライティング作業の前に、

セールスするもの・ことの情報を、まずメモにまとめてみる。

これはバラバラのメモ帳でも良いので、やってみてください。

で、散らばったメモのなかから、例えば一言でいうと…

という具合に売るもの・ことの情報を基に、

自分なりにその要所要所のピックアップ作業をしてみてください。

このとき、ここは外せないぞというメモにチェックを

入れておきましょう。

上記作業の前提として、セールスするもの・ことの

特長・優位性などは事前に勉強しておく。

そしてベネフィットをアタマに叩き込んでおく。

ああそう、ベネフィットですね?

これは、簡単にいうと、セールスするもの・ことの市場での優位性から

受ける利益とでもいいましょうか。

ここを間違うと、書くことすべてにズレが生じるので、

よくよく検討してください。

例えば、掃除機の場合だったら、業界一の吸引力が売りだとします。

これが特長であり優位性。

で、この掃除機を使うと吸引力が強いので

掃除の時間が短縮できるとか、部屋がより清潔になるので爽快ですとか、

そうしたポイントがベネフィットとなります。

さて優位性のある箇所からピックアップしたメモの重要性を更に絞り、

ベネフィットも付加して眺めていると、

なんとなく語りたい話の流れが見えてこないでしょうか?

それらの断片を考えながら、モザイクを組み合わせるように、

ピースを埋めるように、ひとつのストーリーをつくってみてください。

それができあがると、そうですね

まだ文が饒舌過ぎませんか?

そしたら、それを更に削る。

この際、単語や副詞に気をつけ、更にリアルな表現がないか、

置き換える言葉はないか。

ここは、よーく考えてください。

で、活きの良い言葉と流れができあがりましたら、

ついでに希少性についても考えてみてください。

例えば、そのセールスするもの・ことは数は幾つか?

売り切れる可能性は?

限定○○個だったり限定○○戸だったりしますよね。

ここは、必ず入れましょう。記述しましょう!

もの・ことの希少性は、割と人を惹きつけます。

また、扱うものが鮮魚だったら、日数・時間の特異性もあります。

採れたてとか、産みたてとか、

そういったものも入れたいものです。

この利点を売りに、タイムセールなども考えられます。

以上、このように組み立ててゆくと、なんとなくそれっぽくなります。

そして、それを更に加工するのですが、

最初に話したように、文は簡単・端的にまとめてみてください。

特長はしっかり打ち出してありますか?

ベネフィットは?

希少性もしっかり捉えられましたか?

そして、全体と部分とに分け、何度も読み返しましょう。

これは、大工さんが仕上げに木材にカンナをかけるとか

ペーパーで馴らす行為に似ていなくもありません。

で、一応コピーは完成!!としましょう。

後は、これを繰り返す。

そして、あれこれと工夫しているうちに、次のアイデアや

切り口、発想などもみえてくると思います。

ネットショップの初心者店長さんや、宣伝部新人社員の方などに、

この方法はオススメです。

ぜひ、試してみてください!

※本エントリーは、弊社ビジネスブログ記事を転載したものです。

湖の想い出

その湖は、

標高の高い山あいに位置し、

夏は白鳥が泳ぎ、

冬はワカサギの釣り場となる。

この湖を初めて訪れたのは中学生のときだった。

水泳部の自主練として、

バンガローに寝泊まりしながら、毎日泳いだ。

競泳目的で湖で泳ぐことは、あまり意味がない。

これは大義名分で、

みんな遊びたい一心でここに来た。

ボートを一艘借りて、皆で遠泳に出る。

湖の横断に挑戦するためだ。

部活仲間は皆、

躰を慣らすだけで数㌔泳ぐ猛者ばかりだったので、

なんのことはない遠泳だった。

が、泳ぎ始めると、水温の変化に躰がついてゆかない。

ときに冷蔵庫で冷やしたような水が、すっと躰を覆う。

これは事前に本で読んで分かっていたことだが、

皆、激しい体力の消耗に襲われた。

心臓がきゅっとなる気がした。

次々にボートに上がり、紫色になった唇を震わせた。

が、誰も棄権する気配はない。

タオルで躰を拭いて一息吐くと、また飛び込んで泳ぎ出す。

ゴール手前の湖面は藻が水面まで繁茂しているので、

足を絡まれないように、皆で用心深く泳いだ。

ここをなんとか通過して全員が岸に近づくと、

そこで寝そべっていた人たちが、

総立ちで僕たちに拍手を贈ってくれた。

歓迎された僕たちは、そのまま岸に倒れ込み、

その冷えた躰を甲羅干しにした。

どこからともなく森山良子の「禁じられた恋」が、

流れてきた。

誰かのラジカセから、それは聞こえた。

僕はその頃、同じ中学に好きな女の子がいて、

ずっと告白できずにいた。

噂によるとその子は大きな家に住んでいて、

とても親がうるさいらしい。

あの子は大変だよ、と誰かに聞いたことがある。

夕方は皆くたくたに疲れていたが、

飯ごうでご飯を焚くのが楽しみだった。

メニューは、カレー。

これしか知らなかった。

大騒ぎしていると、

隣の女子大生のお姉さんたちが、

後でキャンプファイヤーをやらないかと声をかけてくれた。

火を囲みながら、幼心にこの人たちに恋人はいないのだろうかと、

僕は思った。

マイムマイムを踊って盛り上がり、

どこから持ってきたのか、

このお姉さんたちと花火をバンバン鳴らした。

バンガローに戻っても寝つけない。

とても刺激的な合宿だったからだ。

ざこ寝仲間の気持ちもオープンになった。

お互いに好きな女子の名前を告白しあい、

僕は記念にと、

その女の子の名をバンガローの板に、

ナイフで刻んだ。

翌朝、湿気の多いもやの中を歩くと、

雑木林にうっすら陽が差し込んできた。

湖面をみると白鳥が動かないでいる。

シンとした不思議な時間だった。

どこかで早起きしたグループの騒ぎが聞こえてきた。

腹が減ったのか早々と朝食の用意をしているらしい。

その方角から、

浅川マキの「夜が明けたら」がきこえる。

夜が明けたら

一番早い汽車に乗ってゆくから…

あの夏から、僕は数え切れないほど、

この湖を訪れている。

ある真冬の日、ここの湖岸にクルマを止めて、

凍えるような朝を迎えたことがある。

ヒーターを全開にして、毛布をかけて仮眠していた。

氷の上で、男の人たちがワカサギ釣りをしていた。

白い吐く息がみえる。

そのうちのひとりがクルマに近づいてきて、

一緒にやらないかと誘ったが、遠慮した。

隣にいた彼女が、寒いのは嫌だと言ったからだ。

僕は眠い目をこすりながら、

白く凍った湖の対岸をみていた。

林のなかに、もうあのバンガローはなく、

白い立派なホテルのようなものが建っていた。

あの夏、一緒に泳いだ部活仲間はいまどうしているだろう、

そんなことをぼんやり考えていた。

大学生になった僕は、

なにもかも新しい世界に飛び出すことだけを目指していた。

しかし、あの夜、バンガローの壁板に刻んだ人の名が、

突然、胸騒ぎのように僕を急き立てた。

朝方、隣の彼女を寝かせたまま、

僕は峠を越え、クルマを走らせた。

もやもやとしていた自分の気持ちがハッキリみえた気がした。

後年、僕は、

あのバンガローに名を刻んだ奥さんと、

久しぶりの休暇でこの湖を訪れ、

例のキャンプの話をした。

女性の話は未だしていないが…

センス良く暮らす

いつか大きな家に住んで、贅沢をしたい。

高いブランドものを身につけ、悦に入る。

成功者は、大型高級車に乗るもの。

上記のような価値に捕らわれている人がまだいる。

ある意味、分かり易い。

あまり考えなくても出てくる答えだ。

しかし、もうそんな時代ではない。

これを読んでいるあなたは、

とっくに気づいているのではないか?

それが、センスというもの。

文化が成熟すると、人はお金の価値の先に何があるのか、

その事を考え始める。

お金の先にあるもの…

例えばそれを、心地よく生きること、と定義付ける。

どう心地よく生きるかは人それぞれだが、

それを追求する行為が、グッドセンスに繋がる。

よくよく自分の生き方をみつめる人だけに

良いセンスが訪れるようにできている。

モノをみるとき、

それはプライスではなく、自分の目で確かめる判断力が問われる。

ブランドに左右されることなく、

モノの価値を公平に判別する眼力が必要になる。

手かがりは、自らの価値観しかない。

これは、人間関係にも当てはまる。

人を色眼鏡で見ない。

他人の噂を信じない。

自分がその人をどう思うか。

そうして人間関係を築いてゆくことが、

その人固有の広がりをみせる。

これらを総じて良いセンスと言う。

自らの物差しを頼りに、

世の中を歩くことは、かなり勇気がいる。

もし、自らのセンスが良くなければ、

そのようなモノと人に囲まれる。

そう考えると、もはや他人事ではない。

これからの時代に必要な能力がセンスだ。

センスの善し悪しは、

だいたいに於いて、その人の生きてきた履歴に由来する。

だから、センスが悪かろうと致し方ない。

そのように暮らしてきた歴史があるからだ。

そして人はあるとき、何らかのきっかけで、

それを見直そうとすることがある。

賢い人は自らの暮らしを棚卸しするだろう。

過去と向き合い、これからを考え、

人生のツーリストとしてどう進んでゆくのかを、

自ら企画する。

そうして自分の方向性を変える。

自ずと価値観も変わるだろう。

態度や行動が変化し、習慣が変わる。

習慣が変わると、生き方に変化があらわれる。

こうした過程で、その人なりの価値観が再構築され、

人のセンスは変わる。

人は毎日センスを問われている。

無意識であろうとなかろうと、人は刻々と判断して、

そうして暮らしているのだから。

センス良く暮らすとは耳障りの良い響きだが、

これはよくよく考えると、

心地よく生きるための、ひとつの知恵とも言える。

コピーづくりの現場

広告の仕事をしていてよく思うこと。

それは、コピー軽視です。

特に、キャッチコピーを軽んじている人の

なんと多いことか。

対して、デザインは比較的分かり易いので、

皆さん、アレコレ口を挟みますし、

こだわっているようにみえます。

デザインは、誰もが大筋は判断できるのでしょうね。

格好いいとか、都会的とか…

が、デザインに於いても、

それがコンセプトに沿ったものかどうか、

本来、そこを考えなくてはいけないのですが…

しかし、これがコピーとなると、粗末な扱いとなる訳です。

検討以前となってしまうこともあります。

適当に誰かが書いて、それがそのまま最後まで残り、

掲載されてしまうことも少なくありません。

ボディコピーは、作文の添削と同傾向にあるので、

そのコピーがその場に相応しいかどうかではなく、

一応、みなチェックはします。

しかし、この場合も、

日本語として正しいかどうかのみ、で終わってしまう。

制作する側でも、一部でこのコピー軽視の傾向があります。

こうしたクリエーターは、世の中には大勢います。

だから、広告主も分からない。

フツーの人はなおさらでしょう。

しょうがないといえばそんな気もします。

では、なぜ人はキャッチコピーを軽視するのか?

そう、答えは簡単。

分からないからです。

割とみな分からない。

で、私たちコピーライターの出番なのですが、

そもそもキャッチコピーの力を信じない人に

その重要性を説いても無駄なのです。

デリカシーのない人に、私も無理強いはしないようにしています。

コピーが元々広告の添え物であり、

そこになにか書いてあれば良し、

要はどうでもいいもの…

そう思っている人は多いのではないか?

が、これは甚だしい間違いです。

本来、人はことばで動いています。

自らの過去を振り返っても、

ことばひとつで勇気づけられたり、

傷ついたりした経験がいっぱいあります。

或るひとことで愛しあう。

或るひとことで涙を流す。

かように、人の心も、ことばで動くのです。

ことばって、割とパワーがあります。

それを突き詰めたのが、経典なのかも知れないし、

呪文なのかも知れません。

これを、人は言霊と呼んでいる。

人が本気で口にしたものには不思議な力が備わる。

また、そうしたことばが、ひとり歩きをしたりもする。

例えはズレているが、

あのお笑いタレントのスギちゃんが流行らせた

「ワイルドだろ~」も、パワーがあった。

普通のセリフなのに、フツーではない魅力があった。

古くは、マラソンの有森裕子さんが、

アトランタ・オリンピックで銅メダルをとったときの、

「…自分で自分をほめたいと思います」も、印象深いことばです。

或る登山家への質問。

「あなたはなぜ山へ登るのですか?」

「そこに山があるからさ」

ことばって、本気で発すると力が増します。

さて、ここから実践編!

例えばあなたがネットショップの店長だったとします。

洋菓子店を経営していると仮定しましょう。

店では、クッキーの詰め合わせなどを売っている。

おいしそうな写真とかわいいデザインで、

売れそうな気がします。

が、オープンしてみると、いまひとつ売り上げが伸びない。

クッキーの写真の下には、

「超甘くておいしいクッキーの詰め合わせセット」

とコピーが添えてある。

さあ、あなたはきっと悩みますね。

どこを修正しようかと。

こんなとき、

私はまずコピーをいじることをオススメ致します。

例えば、このコピーを、

「焼きたてサクサク!!

手づくりクッキーがぎっしり!」

に書き換えます。

さてこれで、売り上げは?

そう、きっと少し上がると思います。

きっと…ですが(汗)

だって、コピーはいきものです。

活きもの!!

本気でいきるものには、魂が宿ります。

よって、コピーは添え物ではありません。

本気で考えたコピーにはパワーが宿ります。

冒頭から散々言っていますが、コピーを信じていない人は、

買うか買わないか、そのギリギリの心理に辿り着いていない。

その臨場感が分からないのだと思います。

買い物で迷ったとき、人は無意識にでもコピーをチェックして、

判断しているのです。

さあ、

これから、なにかの機会で広告に携わる方は、

ぜひ、コピーをつくる空白の時間をつくってください。

購買心理を探ってください。

しかし、

きっと不思議な世界に迷い込むことになりますがね!

※当エントリーは、弊社ビジネスブログに掲載したものを加筆・修正したものです。

季節、雑感

私が毎朝歩く散歩コースは、

四季の移り変わりが美しく、自然が豊かだ。

気が向くとカメラを持って出る。

腕がなくても、

そこそこ素敵な写真が撮れるのは嬉しい。

いま春爛漫。

景色にも華やかさと勢いがある。

山の緑も、いよいよ濃くなり、その濃淡は、

陽ざしと風により、幾通りにも変化する。

合間を山藤が盛んに薄紫の淡さを演出し、

先の山桜に代わる彩りを魅せる。

歩くと、そこかしこにツツジが満開で、

白から赤い花びらまで、多彩に咲く様が目をひく。

道端では濃いピンクの芝桜が敷き詰められるように、

家々の生け垣には、

モッコウ薔薇の黄色が朝陽に映える。

しかし、よくみかけた蝶々がいないことに、ふと気づく。

紋白蝶や紋黄蝶だ。

蝶々が減ったことは農家の方も言われていたことを思い出す。

夏のトンボも秋の赤トンボも然りだと言う。

先日、近くの立ち寄り湯へ出かけた際、

そこで働くおじいさんと話す機会があった。

丹沢の懐のような温泉場で、自然が色濃い。

が、このおじいさんが働き始めた20年前と較べ、

いまは野生の鹿や猪が激変しているという。

そういえば、とあたりを眺めておじいさんが言うには

夏の盛りも、蝉の声が以前より静かだということだ。

昔は、山々に反響するように鳴いていたらしい。

こうした話と同時に、

都会でも気になる現象は起きている。

ハクビシンというどう猛な小動物が、

なんと東京の街中にいるという。

民家の屋根裏に棲みついている様子を、

テレビカメラが追っていた。

また街中の家々を猿が逃げ回っている。

これもニュースの一コマだが、

どうも昔ではあり得ないことが起きている。

人と動物の暮らす領域の異変は、

山が貧しくなってきたことを、私たちに教える。

まあ、昔から乱開発の危険はずっと叫ばれてはきた。

農業でも、農薬の過剰散布は人だけでなく、

生態系への影響も懸念されてはいた。

こうしたツケが永年積み上げられ、

いま私たちは、難問を突きつけられている。

虫のいない森。

しんとした夏。

そして、山を諦めたいきものが畑を荒らし、

町へ街へと…

例年と変わらずに啼いているウグイスが、

木の枝を渡り歩く姿が、朝陽に光る。

今年も、燕が同じ軒先で雛をかえすらしいと、

その家の主人が世話をしている。

これだけで救われる気がした。

少しほっとする、朝の風景だ。