白い夏

透き通る

青と白のストローに触ると

コップのなかの氷がカランと鳴る

ほら

ダンボが飛んでいるよって

ガラスに描かれたディズニーの絵にみとれ

額の汗を拭い

そしてやおら立ち上がると

じっと動かないでいる

軒先の金魚風鈴が気になった

テーブルの上に広げられた

描きかけの絵日記

ぱらぱらとめくっても

ただ毎日晴れとだけ続いて

たどたどしく

赤いクレヨンで

どこもおひさまの絵ばかりなので

隣の家の庭を眺めて

そうだ

今日はひまわりを描こうと…

風が凪ぎる

時が止まる

そこを切り取り

私の遠い夏を持ち帰えると

確か傍らに

おかっぱ頭の姉がいて

姉は信じられないほど

作文を書き続け

本を積み上げ

私たちはことばも交わさず

姉は汗も拭かずに…

その頃

きっと親の期待が重かったのだろうと

止まった夏時間は

もう姉の記憶にないだろう

母は氷を砕いて

たらいにスイカを置き

その姿はいつも健康で丈夫で

いつまでも若いと思っていた

それは父も同様で

大きな背中はなにも言わず

語らず

しかし世の中のことは

すべて知っているようで

そんな父が怖かったけれど

たまにを私を連れ

映画へも出かけた

昨日の朝

あなたたち二人の写真に

挨拶をした

なにかとても穏やかそうで

それがなによりで…

8月1日

施餓鬼

8月9日

あなたのいなくなった日

そして今年は

お母さん

あなたの新盆です

そうだ

久しぶりに姉に電話してみます

そして尋ねてみます

あの夏は覚えていないだろうけれど

金魚風鈴って知ってる? って…

innocent

野蛮とデリカシーをかき混ぜ

人がね

程よくできあがるってさ

ああ

そんなことってあるんだ

己の誠実を生きると

それはつまりぶつかるんだよな

まっすぐな心って結構やっかいでさ

きっといつかどこかで

誰かを傷つける

その意識がどう動くか

分かっている奴は

振り返る繊細さを発見し

そして

抑揚のある思考を掴むからね

けれど

複雑さに閉じ籠もろうか

自己嫌悪に沈もうかとか

思う訳で

辛いけれど…

人はどうしたって人なので

やはり

人のなかでしか育たないから

それを救うのも殺すのも

そうだね

きっと

野蛮な奴の仕事なんだよなぁ

遅い。けれど…

彼の第一志望は、かつて弁護士だった。

しかし、当時、父親の死により公務員になる。
以後数十年その職務を全うし、がやはり組織に疲弊して、
最近その職を離れる。

私の夢はルポライターになることだった。
もの言う写真の撮れるルポライター。
しかし、食えないとの現実を知り、
いや、腰が退けての進路変更。
が、フリーな立場だけは堅持するも…

お互いここ数年激務だったが、
最近の彼の落ち着き様に安堵し、
先日の飲み屋会議で、
遅ればせながら東北行きを決める。

何もしなかった自分たちが、
まず現実を見ることから
始めようと…

遅すぎる行動。
その自分に苛立つ。

そして、
もう若くもないし勢いもない、
俺たちってホント腹立つな!

それが合い言葉になってしまった。

………

浜で「お母さん」と叫んでいた、あの女子高生。

なのに、

自死を叫ぶ女性ひとり助けられない現実があった。

言い訳は100思いついても、やはり罪は残る。

せめて向かい風に立っていないと、
いまの自分は、
やがて崩れるだろう。

人が人であるために、できることをいまから…

親父、お袋、

これで良いんだよな?

気になるCM  脱臭炭

正直、私にはイマイチよく分からないが、

とても気になるCMを紹介しよう。

これって、まず作り手というか、

クリエーターが何から考え始めたのかが不明なので、

私の場合、それが気にかかってしまうのだろう。

音楽は日本の歌謡曲のような曲調なのに、

間奏で古いアメリカンポップスのような雰囲気に変わる。

歌っている人もソウルフルに歌っているようであり、

最後がストンと終わってしまう。

で、サングラスをかけた女の子が、まだ幼いようで、

妙な振りでエロティシズムを醸し出す。

あの黒い衣装は何だろう。

脱臭炭の炭なのか?

舞台の袖で騒いでいる女子も、なんだかダサい。

この一種不思議な雰囲気のなかで、

脱臭炭だ。

忘れる訳がないですよ。

そう、それが狙いですよね?

アウディR8 (CMレビュー)

久しぶりのCMレビューです。

クルマのフロントライトから、

ディティールを舐めるようにカメラが映し出す。

徐々に後ろへと移動し、イグニッションスイッチが入る頃、

アウディのフラッグシップカーであるR8 V10がその姿を現す。

久しぶりに、大排気量スポーツのエグゾーストを聴いた。

忘れかけていた野生が蘇る。

この鳥肌が立つ感動は、あの懐かしさなのか…

そんなゾクゾクするようなエンジン音が鳴り響く。

吹かすと、明らかに「火」がみえる。

青い炎が揺らぐ。

コイツが本当のエンジンだと、主張している。

若い頃に通った、富士スピードウェイ。

レースが始まる前から、入場の時点で皆うるさいクルマばかりが、

何千台も集結していた。

なかには都道府県名を入れた旗を振っている奴や、

団体やチーム名を入れている旗で、すでにヒートアップ。

それは、かなりの迫力で、

こっちもしっかり朝飯を食っていかないと、

気力負けしてしまうので、気張っていたのを思い出す。

で、レースともなると隣の友達とも普通に話せない。

聞こえない。

怒鳴り合うしかないので、途中でコミュニケーション、終わり。

轟音のなかでずっとレースカーを見るのは快感なのですが、

いまとなっては時代遅れは否めません。

でですね、このCMは、アウディもとりあえず悩んだと思います。

このエコの時代に、10気筒というある意味馬鹿げたエンジンを、

真っ向からみせる、という反社会的とでもいおうか…

燃費悪しの穀潰し

騒音倍加の族野郎

CO2出し放題の臭い奴

こんなことを言われても仕方のないR8 V10の心臓部を、

CMの中心に据えるという表現に、まず拍手。

このなんというか

縛りのキツイ世の中で、

突き抜けている製品と表現。

それが返って、

なんだかとても爽やかに届く。

検索からみる、コピーライターという職業

私はコピーライターなので、

たまにヤフーなどで「コピーライター」で調べてみる。

と、面白いことが分かる。

私の場合は、このキーワードで検索順位を上げようと努力していないので、

頑張っている人や企業に較べ、断然下の順位をウロウロしている。

で、検索の上位は、コピーライターの就職関係が飛び抜けて多い。

これらはだいたい大型サイトなので、SEOも強力です。

あとは、

コピーライターになるための講座や教室のサイトが上位にくる。

検索の上や横のリィスティング広告を眺めても、

ほぼこれらの企業が占めている。

さて、この状態が何を意味するかだが、

私が考えるに、仕事が欲しいからといって、

コピーライターが、

単体のキーワードで対策を施したところで、

無意味ということ。

何故なら、まず上位の大型サイトには勝てない。

そして、仮に上位に来たところで、

検索してきた人とは、マッチングしないということが考えられる。

要は、コピーライターというキーワードで調べる人は、

おおかた就職とか転職とかを考えている同業種の人が多い。

更に、これからコピーライターをめざし、

講座や教室を探している学生も多いと想像できます。

じゃあ、

コピーライターって仕事はどうやって成り立っているのか?

逆にいえば、どうすればネット上で営業するのかだが、

まず、念頭に置く必要があるのは、

素人さんがホームページなりパンフレットを制作したいとき、

まずコピーライターという単語は発想しないだろう、ということ。

卑下する訳ではないが、コピーライターという職業は、

現在、それほど一般化していません。

例えば、仮にですね、あなたが家を建てるとします。

このとき、ハウスメーカーや工務店、注文住宅 地域名などで、

かなりチェックするとは思いますが、

屋根職人とか壁工事とかでは探さないでしょう?

きっとコピーライターという職業も、

屋根職人や壁の工事をする人と同じような位置でみられている…

私はそのように思うのです。

パンフレット作成とかホームページ制作とか、

もう少し具体的に入れますね。

では? 

そうです。

コピーライターで仕事の匂いのする検索者は、実は同業者なのです。

それが、広告会社であったりコピーライターのいないプロダクションであったり、

それはともかく、いわゆるBtoBが圧倒的に多い。

要は、外注を探しているのですね。

めざすターゲットは、業界内ということがいえるのです。

前述のように、BtoCは、圧倒的に少ないと思われます。

では、BtoB向けにどのようなキーワード選定が最適かというと、

そこが難しいところというか考えどころでありまして、

複合、補足でいろいろ試して調査します。

ここまで話をすすめれば、後はだいたい想像できるとは思うのですが、

私たちの仕事は、一時より一般化していない、

また、広告を担う総力の一端を担当する職種。

そのように思われているようです。

しかし、現場ではかなりの負担と責任を任されている訳で、

その守備範囲は広い。

或る意味、報われない仕事といっても過言ではありません。

先方との折衝、コンセプトの構築、全体のデザインイメージ、

そしてコトバに求められる求心力…

私たちの仕事が、今後どのようにしたら理解されるのか?

どうしたら報われるのか?

それは、

とびっきりのキーワードを探し出すのと同じように、

難問かも知れませんが…

湘南・海辺のホテル

湘南ホテル

以前、鵠沼海岸沿いに湘南ホテルというのがあった。

新しくはないが、結構、建物が洒落ていたので、

私はかなり気に入っていた。

外観は洋風で、重厚。

しかし、威圧感のようなものがない。

薄い緑色の外観が美しかった。

窓からは、国道134号線を隔てて、海が見える。

静かな夏の早朝には、波の音も聞こえた。

小振りだが室内プールもあって、

真夏のカラダを冷やすのに最適だった。

実は、

この海岸沿いの道を学生時代からずっと通っていて、

ホテルの存在を、私は全く知らなかった。

中年になってふとしたきっかけで知ったのだが、

そのときはすでに閉館が決まっていた。

そこそこ繁盛していたように思うが、

このホテルは個人オーナーのものだったので、

閉鎖は、相続の問題も絡んでいたらしい。

とても残念だった。

現在、この跡地に瀟洒なマンションが並らぶ。

時折、前を通ると、

あの夏の日の、家族の笑顔が浮かぶ。

なぎさホテル

逗子のなぎさホテルの外観は小振りで、

見るからに古い洋館の造りだった。

海沿いを走っていると、こんもりとした緑の中に

ポツネンと佇んでいる。

若いひとから見ると、単なる古い洋館だ。

一見、時代に取り残されたように建っている。

しかし、一端中へ入ると、

黒光りする柱や漆喰の美しい壁が、訪れたひとを魅了する。

私はここを、自ら取材と称して選んで泊まったが、

ホテルのスタッフの方々の対応も、そして食事も、

とても満足のゆくものだった。

もうだいぶ前に取り壊されたが、

作家の伊集院静さんが若い頃、

このホテルの居候をしたことがあるという。

そして後年、「なぎさホテル」という本を出版している。

彼にして、それほど思い出深く、

居候になるほど癒やされる、

素敵なホテルだったのだろう。

ホテルパシィフィック

ホテルパシィフィックは、

茅ヶ崎の海沿いに忽然と姿を現すホテルだった。

古いホテルにしてはタワー型で、

当時としては画期的な建築物だったように思う。

このホテルを知ったのは学生時代で、

波乗りのポイントが近所だったことから知った。

高級ホテルだったので、

私は最上階の喫茶しか利用したことはないが、

ここからは、湘南の海が一望できた。

海を見下ろすという感覚は、ここが初めてだったように思う。

一時、あの加山雄三さんのもちものであったし、

また、サザンの桑田さんも歌っているように、

皆に思い出深い、存在感のあるホテルだった。

湘南から姿を消した名ホテルは、

ときを経て、私のなかでより美しさを増す。

現存しているホテルでいまでも気になるのは、

大磯プリンスホテルと鎌倉プリンスホテルだ。

大磯プリンスホテルはクラシックホテルになれず、

ただ建物ばかりが古びている。

まわりにこれといった観光地もない。

しかし、広い敷地がとても贅沢に使われていて、

空と海の広がりを堪能できる。

ここからの海の眺めは、湘南随一。

ホテルの前の西湘バイパスがなければ、

とても静かなのだが…

しかし、希有の景勝地に変わりない。

鎌倉プリンスホテルは、

七里ヶ浜の丘の上の高級住宅地に建っている。

プリンス系列のホテルにしては、こじんまりしている。

プリンスホテルは、どこも高台が好きなようで、

いまはもうない横浜の磯子プリンスホテルも、

横浜の海を見下ろす高台にあった。

鎌倉プリンスは、各部屋がビラのように、

丘の上に長く延びる3階建て。

正面の部屋は、海を真向かいに見て、

他は江ノ島方向を向いている。

どの部屋もハズレがなく、

山側という部屋がないので、たいした格差がないのが良い。

最近、ホテルをまるごとリニューアルして、

全室禁煙にしたので、もう私は行かないが、

あのホテルはなんというか、

隠れ家のような魅力がある。

海辺に建つホテルはどれも美しく、

私の湘南の思い出は、

海沿いの134号線を走る度、

それは潮の薫りに乗って浮かんではまた消えてしまう、

蜃気楼のようなものである。

愛しのビートル

大学時代、よく国道一号線を走った。

横浜の鶴見に友人がいたので、

そいつと遊ぶためにせっせと通った道だ。

あるとき一号線を走っていて、

視界のなかに中古屋が見えた。

いままで気がつかなかった店だ。

いつもの癖で、展示されているクルマをチェックすると、

気になるクルマが私を呼んでいる。

で、Uターンして、初めてその中古屋に顔を出した。

フロントフェイスの艶が良い、

そいつは、1303Sという型のフォルクスワーゲン・ビートルだった。

車体は綺麗なオレンジ色で、かなり珍しい。

窓から中を覗くと、メーター類のシンプルさに好感がもてた。

いいなぁ…

一目で気に入ってしまった。

街で理想の女の子にでくわした、そんな感じだ。

ワクワクする気持ちを抑えて、その日はその場を去り、

友人の家へ行く。

そいつにビートルの話をすると、

「ガイシャだろ、やめといた方がいいよ」

と軽くいなされる。

次の日も、鶴見のその中古屋へ出かけた。

クルマをじっと眺めていると、店の主人らしき人が出てきて、

「昨日も来たよね」と笑いながら言った。

なんだか見透かされたようで恥ずかしかったが、

そんなことはすでに私にはどうでもよく、

クルマの前にずっと立ち尽くした。

と、そのカウボーイハットを被った髭のおっさんが、

「昨日、キミの後に一人見に来ていたよ」とのたまったのだ。

「ええっ」

いきなり気が動転した。

現実的にこのクルマを手に入れる算段など、

私は一切考えていなかった。

が、血迷った。

悔しいなぁ!

学生の私にとって、そのビートルはかなり高額だった。

たいした持ちあわせもない。

中古車の気軽なローンの類いもなかった時代だ。

こんな学生に金を貸してくれる仏さまのような人も知らないし…

泣く泣く、振り切るように私はそこから立ち去った。

しかし、国道を走りながら、激しく計算を始める。

いま乗っているクルマを下取りに出すと幾ら。

銀行に預けてある金がわずかにあるのを思い出した。

こうなると意地になってしまうのが、

私の悪い癖だ。

最近はかなりこの性格も改善されたが、

私の金欠の根本は、きっとこんな所にあるのだろう。

このビートルのため、結果、バイトも換えてしまった。

それまで働いていた、のんきで時給の安いコーヒーショップを辞め、

すべて金で動くという、あざとい人間となった。

お陰で、前借りもでき、

当時のサラリーマン並みの稼ぎを得ることもできた。

あるときは、新車の陸送マン。

あるときは、関東一円を走るトラックドライバー。

が、他の散財も重なり、

遂には学校に行くこともままならず、

横浜港での日雇いもやるハメになってしまったのだ。

ああ、俺はなんでこんなキツイ仕事をしているのかぁ。

来る日も来る日も働き詰めなのに、

どうしていつも金欠なんだろ?

ま、答えは分かっていたが…

結局、卒業までオレンジ色のビートルは手放さず、

私はこいつとの付き合いが、学生時代の最大の思い出となった。

出かけるときはいつもビートル。

こいつとは軽井沢、信州、静岡とどこへでもでかけた。

不調のときは、夜中に修理した。

車体の綺麗なオレンジ色を保つため、

近くの板金塗装の親爺とも仲良くなってしまった。

また、ステアリングの他、クリーナー、マフラーと次々に改造を重ね、

借金があるにもかかわらず、

結局このクルマの改造に100万円以上も注ぎ込んでしまった。

前述の友人もこのビートルに惚れ、結局ビートルを買った。

大学ではビートル仲間が増え、

ビートルクラブなるものもできてしまった。

思えば自制のない自分に呆れるが、

良い思い出だけはつくれたような気がする。

「いい女といいクルマには気をつけよう」

これは、私が青春時代に身をもって得た格言だ。

赤のベレG

高3の秋に免許を取った。
学校をサボって通った教習所だったので、
免許証を手にしたときは久々の充実感があった。

しかし、クルマがない。
友人は皆、親のクルマを乗り回していたが、
私の父はクルマはおろか、免許さえ持っていなかった。

ヒロシという遊び仲間は家が農家だったので、
日産のトラックを二人で夜な夜な乗り回した。

が、いい加減に飽きてきた。
なんか、格好良くない。
泥だらけのダッシュボードに足を乗せ、
スカGとか欲しいなぁ、といつも二人でつぶやいていた。

或る日、道路沿いをトボトボと歩いていたら、
キュキュキュキュといいながら交差点を曲がって
こっちへ向かってくる赤いクルマがあった。

「○○先輩!」
「よう!」
先輩は全開にした窓から、手を挙げて、急停車した。

その赤いクルマこそ、当時私たちが憧れていた
いすゞのベレットGTだった。

すでに、当時の時点で新車はすでになく、
生産が打ち切られていた。

スカGよりも伝説のクルマ。
フェアレディよりも深く、
117クーペよりも味のあるクルマ。
それが赤いベレットGTだった。

先輩のその赤いペレGにはバックミラーがなく、
意図的に外してあった。

当時から、フェンダーミラーは格好悪いとの
共通認識があった。

ボンネット他、くすんだ赤い塗装はかなりヤレていて、
全体にボディが疲れていた。

「先輩、ワックス塗らないっすか?」
「ワックス?んなもんする訳ねぇーだろ」

「オールペンは?」
「んな金ある訳ねーだろ」

中を覗くと、黒いシートがひび割れ、
いい味が出ている。
かなり使い込んでいるのだろうなと思った。

ヘッドレストもなく、ギヤを触ると、
カチッとキマらない。

私が戸惑っていると、先輩が
「勘よ、勘。勘でいま何速か分かる訳よ」

それを見てから、
私も必死にバイトをして金を貯め、
赤いベレGをほうぼう探した。

しかし、中古屋の前で憧れのクルマの
値札を見て愕然とする。
私の資金では全く手が届かなかったのだ。

しょうがないので、
私はベレGに少しでもフォルムが似ているホンダのクーペ7を手に入れた。

水平対向空冷エンジンはよく回ったし、
このエンジンが奏でる独特の音が好きだった。

このクルマは、当時ホンダが満を持して世に送り出した4輪だった。

が、いまにして思うと、
何故もっと頑張ってペレGを手に入れなかったのかと、
時折自分に腹が立つことがある。

記憶のなかでそれは、
ベンツやポルシェ、いやフェラーリなんかより格好良く、
永遠に輝いている、
いすゞの赤いベレット1600GTなのである。

命知らずの西湘バイパス

先日、野暮用で小田原方面へ行くことになった。

ざっと考え、西湘バイパスが一番早いだろうと思い、

海方面に走り続けた。

どん付きでT字路。

左が鎌倉方面、右が小田原方面。

西湘、なので、湘南の西になる。

で、右折の後、久しぶりに西湘バイパスに乗る。

風の強い日で、曇天。海も濁って荒れている。

普通に走っていると、まわりのクルマにビュンビュン抜かれる。

うん?と思ってメーターを見ると、私のクルマは遅くない。

が、ビュンビュン抜かれる。

なかには、バックミラーに小さく確認できたバイクが、

あっという間に私のクルマを抜き去り、

小さく消えてしまったという例が数例。

えぇっ、この道路ってなんなんだと思った。

とにかくみんな飛ばしている。

西湘バイパスの制限速度は、確か70kmだった。

私はそれを少しオーバー気味に走っていたので、

だいたい80km弱だろうか?

となると、前述のバイクはさておき、

みんな普通に100km以上で走行している。

海からの強風にしぶきが混じる。

クルマが横風をモロに受けているのが、

ハンドルに伝わる。

西湘からの景色は、片方が荒れ狂う海。

片方は崖が多い。

ふと崖のほうを見ると、その崖から迫り出すように、

小綺麗な家が建っているのが見えた。

いやぁ、この道路も凄いところを走っているが、

あの家に住んでいる人も凄いなと思った。

私だったら、ここより、

都会の超高層マンション最上階に住んだ方が気が楽だと思った。

で、国府津というインターで降りるのだが、

ウィンドウの向こうは海しか見えない。

そこをクルリと走って一般道へ出る。

ということは、海上に造られたインターチェンジらしい。

その感覚は、ほぼ遊園地のジェットコースターのようだ。

この道路の位置しているところもほぼ海上なので、

視点を変えれば、非日常が存分に味わえる道だ。

しかしだ、ここを走っている人たちは飛ばし屋が多い。

みんないろいろ分かって、ここを走っている。

ああ、若い頃に感じたことのない恐怖を覚えた。

これって、要するに年のせいなのかなぁ。

そこが未だによく分からない。