夜の饒舌

常識や思い込み そして哲学が崩れ落ち

神さえ疑わしい日から

幾年 幾月 が過ぎ

やっと

ああそうだ 月って綺麗だなと

窓辺にベッドを移し

文庫本のひとつを手に 和室の灯りを消し

すだれ越しに夜空を見上げれば

平安の時代から変わらないであろう

月あかりは穏やかで

雲が流れる様が

ロマンチックなスクリーンのように

饒舌に

思わず本を置いて

見入っていると

どこからともなく

静かに 静かに

草の音 虫の音と

なんと

平和の音 平安の音

幾重に幾重に

それは夜の指揮者が不在でも

月夜の晩に必ずひらかれる

夜会

こんな世の中だけど

なんだか分からない程に

疲れているけれど

このひととき

この瞬間

平静の瞬きに出会えて 

すべてのなにかが整ったのだろう

それを知り得て 

やっと受けとめることができた

いまは

生きていることのみで

ありがとう ありがとうと

なにに

誰にと

やはり…

神に祈ろうか

相変わらずの、クラウン。

このところ、トヨタのCMを観ていて、

なんか腑に落ちない。

他の人はどうか知らないが、私的にかんに障るというか、

観ていて不愉快になる。

それは、ピンクのクラウンがデビューしたあたりから。

ドラえもん編がスタートだったと思うが、

その頃はまだ良かった。

しかし、たけしが秀吉、キムタクが信長役のCMが始まった頃から、

違和感が出る。

確か千利休役の鶴瓶も出ていたから、

話もでかいが、ギャラだけでも凄いだろう。

さすが、トヨタだ。

スケールが違う。

このシリーズのバージョンは多彩だが、

ひょっこりひょうたん島編では、

3人の偉人?が東北・岩手の海沿いを眺めて、エラソーに話す。

で、キムタクがひょっこりひょうたん島のテーマソングを歌うのだが、

そのヒューマンな歌詞に、この3人が浮いている感じ。

そもそも、生臭い歴史を生き抜いた3人の役柄から、

それは醸し出されるのかも知れない。

こうしてクラウンのCMは、

いろいろなモチーフを使って天下人がロマンを語ってゆくのだが、

CMが新しくなる程に、相変わらずというか、更に偉そうなのだ。

で、今度は松嶋菜々子だ。

彼女が例のピンクのクラウンを運転していると、

後ろから黒塗りのクラウンが追いつき並走する。

秀吉の亡霊のように、

黒いクラウンを運転しているたけしがつぶやく。

「人間は体力が衰えると他の力が欲しくなるんだよ」

「だから男って偉くなりたがるんだ」(松島菜々子)

「でも気がついた。衰えない力もあるって」(たけし)

「まさか愛なんて言わないでしょうね?

いつからそんなハイブリッドな人になっちゃったの。

クラウンみたい」(松島)

「スイマセン」(たけし)

まず、秀吉にもの申す松島は、一体誰なのか?

そこは、実は私はどうでもいいのだが、

きっとたけしにもの言う訳だから、

単純に松島菜々子あたりの大物女優?を充てたのだろう。

で、思い起こすに、

このクラウンのキャンペーンコピーは、

「権力より愛だね」だった。

しかし、私に言わせればこのCMの根底に流れているのは、

欲深い奴のいやらしさだ。

クラウンからは、やはり権力の臭いは消えない。

だって、いまさら愛かよ…

クラウンが生まれ変わったということだが、

実は、それがもはや困難なことを、このCMは教えてくれる。

だから、妙な違和感が残るのだ。

ここで言う、ハイブリッドな人というのは、

実は「権力も愛も、何もかも手に入れたい」という、

そんな人のことを指しているようにも聞こえる。

だから、秀吉なのだ。

なるほど、クラウンなのかと合点がゆく。

繰り返すが、今度のクラウンのコンセプトコピーは、

権力より愛だね

の筈。

しかし、何故このCMがかんに障るのかが、

私はだいぶ後になって分かったのだ。

それは、

クラウンに乗る人が、

実は「権力も愛もすべて欲しい」人と、

本音ではささやいている。

そのようにしか受け取れないのだ。

同類の仕事をしているので、

広告類は割と好意的に観ているつもりだし、

その苦労も分からないでもない。

だからこそ、クラウンのポジションが如何に難しいか、

そこがひしひしと伝わるし、このCMの狙いは良くとも、

戦術でコケているように思える。

だから、相変わらずのクラウン。

実は、なにも変わっちゃいないのではないか、と。

風が見えるか

荒涼とした世界に、カメラを構える男。

緑の豊かな大地ではなく、そこは殺伐とした大地。

風が荒れている。

景色に色がない。

水辺にも、生き物の気配がない。

が、カメラを構える男。

なにをめざして、ここを訪れたのか。

突然ファインダーに、見知らぬ人が映る。

風「ここで何をしている?」

妻夫木「あなたは誰ですか」

風「私は風だ」

遂に風が見えた。

妻夫木「風… 僕はあなたを撮るためにここに来ました」

風「君に私が見えるのか」

山、川、雲。枯れた草地。

あらゆるものにファイダーを向ける。

妻夫木「あなたが見えた気がしました。何千年にも渡る

    あなたと大地の物語が…」

「連作交響詩 「わが祖国」 第2曲 ヴルタヴァ(モルダウ)」が

いちいちさみしくもあり、重厚かつ思索的。

スコットランドの自然は、人を哲学に導くのか。

一眼、ではなく、まさにイチガンが切り拓く新世界なのかも知れない。

10代のとき、カメラマンをめざしたことがある。

以来、ニコン派。

いまさら、キャノンが気になりだした。

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相変わらずの、クラウン。

このところ、トヨタのCMを観ていて、

なんか腑に落ちない。

他の人はどうか知らないが、私的にかんに障るというか、

観ていて不愉快になる。

それは、ピンクのクラウンがデビューしたあたりから。

ドラえもん編がスタートだったと思うが、

その頃はまだ良かった。

しかし、たけしが秀吉、キムタクが信長役のCMが始まった頃から、

違和感が出る。

確か千利休役の鶴瓶も出ていたから、

話もでかいが、ギャラだけでも凄いだろう。

さすが、トヨタだ。

スケールが違う。

このシリーズのバージョンは多彩だが、

ひょっこりひょうたん島編では、

3人の偉人?が東北・岩手の海沿いを眺めて、エラソーに話す。

で、キムタクがひょっこりひょうたん島のテーマソングを歌うのだが、

そのヒューマンな歌詞に、この3人が浮いている感じ。

そもそも、生臭い歴史を生き抜いた3人の役柄から、

それは醸し出されるのかも知れない。

こうしてクラウンのCMは、

いろいろなモチーフを使って天下人がロマンを語ってゆくのだが、

CMが新しくなる程に、相変わらずというか、更に偉そうなのだ。

で、今度は松嶋菜々子だ。

彼女が例のピンクのクラウンを運転していると、

後ろから黒塗りのクラウンが追いつき並走する。

秀吉の亡霊のように、

黒いクラウンを運転しているたけしがつぶやく。

「人間は体力が衰えると他の力が欲しくなるんだよ」

「だから男って偉くなりたがるんだ」(松島菜々子)

「でも気がついた。衰えない力もあるって」(たけし)

「まさか愛なんて言わないでしょうね?

いつからそんなハイブリッドな人になっちゃったの。

クラウンみたい」(松島)

「スイマセン」(たけし)

まず、秀吉にもの申す松島は、一体誰なのか?

そこは、実は私はどうでもいいのだが、

きっとたけしにもの言う訳だから、

単純に松島菜々子あたりの大物女優?を充てたのだろう。

で、思い起こすに、

このクラウンのキャンペーンコピーは、

「権力より愛だね」だった。

しかし、私に言わせればこのCMの根底に流れているのは、

欲深い奴のいやらしさだ。

クラウンからは、やはり権力の臭いは消えない。

だって、いまさら愛かよ…

クラウンが生まれ変わったということだが、

実は、それがもはや困難なことを、このCMは教えてくれる。

だから、妙な違和感が残るのだ。

ここで言う、ハイブリッドな人というのは、

実は「権力も愛も、何もかも手に入れたい」という、

そんな人のことを指しているようにも聞こえる。

だから、秀吉なのだ。

なるほど、クラウンなのかと合点がゆく。

繰り返すが、今度のクラウンのコンセプトコピーは、

権力より愛だね

の筈。

しかし、何故このCMがかんに障るのかが、

私はだいぶ後になって分かったのだ。

それは、

クラウンに乗る人が、

実は「権力も愛もすべて欲しい」人と、

本音ではささやいている。

そのようにしか受け取れないのだ。

同類の仕事をしているので、

広告類は割と好意的に観ているつもりだし、

その苦労も分からないでもない。

だからこそ、クラウンのポジションが如何に難しいか、

そこがひしひしと伝わるし、このCMの狙いは良くとも、

戦術でコケているように思える。

だから、相変わらずのクラウン。

実は、なにも変わっちゃいないのではないか、と。

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繁盛するサイトをざっくり考える

●看板は重要

反応率の高いサイト、よく売れるECサイトというのは、

トップページにおいて、まず見やすい、一目で内容が分かることが

なにより優先順位の第一となります。

なにをやっている会社なのか、ひと言でいうとどういうお店なのかを

ズバッと語っている、またはデザインで見せている。

これに尽きます。

特に、看板は大事。

●写真にひと工夫を

ここでは、キャッチフレーズとビジュアルのコンビネーションは欠かせません。

当たり前だけどね。

で、写真などは、皆さんあまり難しく考えずに載せることもあると思います。

が、訪問者はその写真を、実に真剣にチェックしています。

新鮮さをアピールしたければ、そのように。おいしさを見せたければ、そのように。

また、人柄を伝えたければ、そのように撮らなければならない。

ここはひとつお金とアタマを使いましょう。

シズルという言葉がありますが、これは写真を撮る際、

如何に臨場感を出すかが勝負となります。

●直帰率を下げる

デザインに関しては、センスは良いに超したことはありません。

業種によっては素人っぽいサイトに人が集まる、というデータもあるようですが、

センスが問われる業種は、やはりデザインに力をいれなければ、

お客さんは帰ってしまいます。

あと、見やすさ。これは当然ですね?

トップページで直帰率を下げることは、

これは至上命令のようなもので、

サイト内で引き続き滞在してもらうことは

コンバージョン(成約)への第一歩といえます。

次を見てもらう、また興味がもてるサイトというのは、

以上のようなエレメントが欠かせません。

●特長を具体的に伝える

例えば歯医者の場合…

どんな先生がどんな技術とサービスであなたに治療をしてくれるのか?

そこをズバッと語りたいものです。

無痛治療をしてくれる、とか、噛み合わせについてのオーソリティーであるとか…

そのような特長付けは、訪問者の興味を喚起します。

上述のどんな先生が、というのは、やはり顔写真は載せたほうが良い結果が得られる。

これは、実証済みなので、後は実行あるのみです。

だいたい、歯医者なんて星の数ほどあるので、選ぶ方も大変です。

口コミサイトもアテにならない。

とすれば、ここはしっかり語る必要がある。

で、細かいことを言えば、

院内は清潔第一であるとか、駐車場が広いとか、駅近であるとか、

そうしたメリットを、ひとつひとつ、しっかり語ること。

歯医者さんの場合は、実際に通うので、マップもしっかり載せたい。

この場合は、絵地図などの個性的かつ面倒なものは省いて、グーグルマップ。

これで良いのです。

●サイトコストと売り上げは比例する?

こうした積み重ねが繁盛サイトを生むのですが、本気で制作するとなると、

実はかなり面倒くさいもの。

時間もコストもかかります。

いま、こうした手間をかけない、いわゆる安いサイトが幅を利かせています。

これはハッキリ言って間違い。

●検索順位を上げる

繁盛するサイトというのは、当然ながら、或るキーワードに於いて、

上位に位置しているものなのです。

検索順位でも優位に立っている。

でないと、まずお客さんは訪れません。

例えば、おいしい産直の魚が食べたい。

そんな思いで 産地直送 マグロ というキーワードで

検索する。

と、誰でも検索の1ページから見ますね?

で、慎重な方とか丁寧にみる方でも、だいたい3ページまでが限界でしょう。

だって、疲れますからね。

で、ここで大事なことは、やはりキーワードの選定と、

それに伴う検索順位を上げる技術が必要になる、ということ。

●内容の薄いサイトは検索順位も下がる

ここを説明するのはかなり大変なので、ざっくり話すと、

まず、ぺらぺらなサイトなどはつくらないこと。

いまどき、薄っぺらなサイトは、内容も希薄。

いくらテキストを詰め込んだところで、検索エンジンには見向きもされません。

制作コストを下げると、売り上げも落ちる。

事実、こうした話はよく聞く話ではあります。

語ること、伝えたいことをしっかりメモし、

それを各カテゴリー毎に分けて、サイトの設計を考える。

この作業は言い換えれば、

訪問者にとっても親切なサイトをつくることと同じ結果となるので、

よくできたサイトというのは、検索順位も自然と上がることとなります。

●検索エンジンの特徴

現在、検索エンジンというのは、そのサイトへ訪れる人の滞在時間などもチェックし、

そうしたデータをも蓄積しています。

それを元に、検索順位などに結果が反映されるので、

やはり良いサイト、役に立つサイトづくりは、必須といえましょう。

以上のように、ざっくり話しても面倒な話になるのですが、

これが現在の繁盛サイトのアウトラインです。

※このエントリーは、弊社ビジネスブログを改編したものです。

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駆け抜ける詩人

悲しいときは

さめざめと泣ければ

それでいいんだよ

虚しい心を

そっと代弁してくれるような

そんな歌

人生のハレの日には

歓びを胸をいっぱいに

満たしてくれる

そして

やさしく包んでくれれば…

詩人はいつも

7番線のホームに立ち

ビルの谷間を歩き

地下鉄東西線に乗って

野山を吹く風のように

海を渡り

砂漠を横断し

ヒマラヤで眠る

そして空に昇り

天を垣間見る

ときに詩人は

天の川に身を浸して

ほうぼうを思索し

あなたの夢に

すっと入り込むんだ

しあわせの朝が

あなたにも

訪れますようにとね

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ミスター・アーサー

ちょっと聞いてくれないかな、

もしも、僕が大富豪の御曹司だったら、

親に言われるままの政略結婚を拒否できるかって

話なんだけどね。

資産30億。

この膨大な資産の受け取りを拒否してまで、

恋に落ちるに値する女性に出会ったら?

実はそんな女性がいるんだ。

生涯二度と出会うことのできない、

女神のような慈悲と美貌を兼ね備えていて、

なんと僕を愛していると言うんだぜ。

もちろん、僕はそれ以上に彼女に惚れているけどね…

さあ、これから僕は、

運命の天秤に乗って、人生の賭けをする。

あっ、僕の名はアーサー。

そう、ミスター・アーサー。

どうしようもない男さ。

毎日いろんな奴と楽しくやって、

不自由なことなんて、なにひとつない。

そんな僕が悩みを抱えるなんて、

考えもしなかったよ。

人生っていうものを、

深く考えたことがないんだ。

そんな訳で、

僕は初めて不思議な息苦しさを感じている。

これまで自由奔放にやってこれたのも、

これから適当に楽しむためにも、

親の言い付けは守らなきゃ…

いや、そうじゃない、

だから、僕は彼女に言ったんだ。

「僕はこの街が好きなんだよ、

君が望むニュージャージーへ移る、

なんてそれはできない相談だ。

僕はこの街でしか生きてゆけない。

なあ、わかるかい。

俺は、アーサー。

ミスター・アーサーなんだ。

そう言って、僕は人生の賭けをする。

馬鹿だろう。

下らない男さ…

だって、

この話はifじゃない。

もしもの話でもなく、

本当のことだからさ…

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イマニクラスト

イマニクラスト、と書くと、何だろうと思う。

スタイリストのような職業名だろうか?

いや、

フェミニストとかロマンチストとかと似ている。

ちょっとカッコイイ。

○○ストは、文化の薫りがする。

が、エクソシストもいるではないか。

あれは怖い。

でですね、イマニクラストとは、

実は、居間に暮らすと、である。

下らないでしょ?

私は5年くらい、

ずっとイマニクラストを経験したことがある。

ふーん、なんで?

と思うだろうが、居間が便利だったから…

それだけだった。

そもそもイマニクラストになった原因は、

ひょんなことだった。

夜が更け、夕食後にウトウト寝てしまう。

で、家人に起こされても、起きない。

当初は私も2階のベッドで寝ようと思い、

必死で頑張ったが、気がつくと朝になっている。

こんなことが続くと、

本来のものぐさな性格がしゃしゃり出てしまい、

まあいいかと思ったら気が楽になり、

そのまま居間に居着いてしまった、という訳だ。

イマニクラストになるのは、簡単だ。

居間には、一年中付けっぱなしのエアコンがあった。

夏は快適。冬は暖かい。

台所に近いので、つまみ食いができる。

飲み放題。

パソコンもテレビもある。

音楽も自由に聴ける。

で、イマニクラストである。

だから、居間で暮らした5年間は、

布団とかベッドに寝たことがない。

いつも電気カーペットの上でゴロゴロしていた。

「身体壊すわよ」と、しょっちゅう奥さんに叱られていたが、

私は頑なにこのライフスタイルを固持した。

わりと頑固。

で、思い出すに

その頃はいつも起きていたし、いつも寝ていた。

そんな曖昧な感覚。

夜中に家人が起きてくると、寝ていた私も「よう」と起きる。

朝、家族がみんなで飯を食っていても、横で寝ている。

簡単に言うと、すげぇ迷惑な奴だったのである。

たとえば、喧嘩しても仲直りなんかしていなくても、

絶対に顔を合わすハメとなる。

だって私はいつも居間にいる、イマニクラストだったから。

普通の生活に戻ったきっかけは、震災だった。

いろいろなことを考え、自分の人生とかも考え、

エコを考え、健康も考えて、

イマニクラストをやめた。

イマニクラストは生活にメリハリがない。

ファジィだ。

常に仕事、常に休憩、常に寝ているのだが、

なんというか、

一日、一日という刻みが曖昧な上に、

時間の連続性に、いい加減うんざりするのだ。

翻って、ケジメのある生活というものは、

寝る前に、一日が無事に過ごせたことに感謝して就寝する。

朝、今日もベッドで爽やかに目覚められたことに感謝する。

となる。

ケジメのある生活は、再起動ができる。

ここんとこ、大事。

だから辛いことがあっても、一晩寝れば、

なんとか再び立ち上がれる。

心機一転という心境の変化も期待できる。

メリハリの利いた生活というのは、

要は、生きているありがたみが実感できるのだ。

私はイマニクラストを経験して、

やっとそのことに気がついた。

面倒臭い、便利だ、だけの物差しで、

人生のすべてを計っていると、

そこに大きな落とし穴が口を開いている。

イマニクラストが私に教えてくれたことだ。

風呂場の怪

風呂でシャンプーでもしようものなら、

まず数ある容器からシャンプーを探さねばならない。

そんなにあるのか? と聞かれそうなので、

そうです、いっぱいあります。

実際、私はよく分からない。

なぜ、風呂場にこんな沢山のケミカル製品があるのかが。

で、よくよく観察していると、

その容器は微妙に増えたり消えたりする。

あっ、あの花柄がない、おやっ、バラの新製品だ。

何かがなくなり、何かが増えたのだ。

こんなことはよくあるが、私には詳細は分からない。

日本語の製品はほぼないので、

正確にはなにが置いてあるのかも分からない。

石鹸、シャンプー、リンス。

まあその辺りは私でも知っているが、

コンディショナーとかフェィスマスクとか、メイク落としとか、

他にもいろいろあるらしいのである。

これは、奥さんと娘の仕業なので、

私はどうこう言わないが、

他に半身浴用という妙な椅子もあって、

コイツは飛騨産のひのきとみかげ石でできている。

重い。で、遠赤外線効果があるものらしい。

ふーん。

で、入浴剤も洒落たのになると英文で書かれていて、

あるとき適当にぶんまいたら、もの凄い泡が出て、

慌てたことがある。

ということで、風呂に入るときは、

あらかじめ自分がなにでカラダを洗い、

どれがシャンプーであるか、

それをしっかり確認してから入らないと、

なにもできなくなってしまう。

一度、娘の使っているシャンプーで顔を洗ってしまったことがある。

良い香り、がぬめぬめしている。そんな感じ。

またあるとき、ヘアコンディショナーというもので、

カラダを洗ったことがある。

まあ、それなりに清潔になったような気がする。

私は老眼なので、容器に書いてある字が、

ほぼ読めない。

読む気もない…

って、くやしい!

ウチの風呂は、いわば外国だ。

治外法権だ!

私の権力が及ばないところでもある。

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或る編集者の記録

その、気になる文庫本は、ビレバンの棚で寝ていた。

買い主を探す気もないように見えた。

タイトルは「編集者の時代」。マガジンハウス編となっている。

サブタイトルは、―雑誌づくりはスポーツだ―

良いタイトルだなと思い、私が強引に起こし、レジへ。

アマゾンでも見落としていたような本が、

街の本屋でみつかったときは嬉しい。

本屋にないものがアマゾンでみつかることもあるが、

これはそれほどの感激はない。

あったな、というだけ。

私たちは、買うスタイルを使い分けている。

売り手さんは上手く共存してください―

これが本屋さんに対する私の理想だ。

で、この本のまえがきを読むと、

「ポパイ」という雑誌が1976年に創刊されたことが分かる。

計算すると、私はまだ学生だった。

ポパイは、よくカタログ雑誌と評された。

アメリカの西海岸やハワイのライフスタイルを手本に、

そこで活躍しているモノを通して、これらを日本に紹介する、

当時としてはある意味画期的な雑誌だった。

この頃、私のまわりは皆、

ポパイファッションになっていた。

もっと遡ると、

お兄さんやお姉さん方はすでに平凡パンチの影響を受け、

アイビールックで街を闊歩していた時期があった。

あれもこれも、上記の本の編集者たちが仕掛けたものだ。

社名を平凡出版からマガジンハウスと変えてからも、

そのパワーは持続していた。

世の中のファッションやライフスタイルを変えるほどの影響力を、

彼らはもっていた訳だ。

なかでも、注目される編集者が木滑良久という人。

かなりの有名人で、

一時はテレビにも頻繁に出ていた。

彼が、これらの企画の元をつくった人と言われている。

彼の素材モチーフは、アメリカにあった。

現代に置き換えると、

私たちの知らないアフリカのオシャレなファッションや雑貨、

ライフスタイルなどをいち早く日本に紹介する、

ファウンダーというところか?

後年、私も雑誌編集者となったが、

この本に書かれているように、世の中の風向きを変える、

という華々しい経験は皆無。

マイナー誌だったので、だいたいが後追い状態。

これらの雑誌類とは編集方針が違うといえば聞こえは良いが、

金がない、人が足りない…いや、企画力と情報収集力、

更に編集力がなかったと言ったほうが正確だろう。

「編集者の時代」は、

ポパイの或る時期の編集後記を書き連ねただけのものだ。

しかし、年代と記事の中身を読みあわせると、

不思議なほど、その時代の空気が再現されている。

サーフィン、スケボー、ウォークマンスタイル、ラコステのボロ、

スタジャン…。これらの流行に加速をつけたのもポパイだ。

それは羨ましくもあり、読み進める程に、

ひとつの時代を築いた自負が感じられる。

(このグループが後に女性誌「オリーブ」を創刊する)

1977年8月10日の編集後記は、

ジョギングについて書かれている。

まず、ニューヨークのセントラルパークや、

ロスのサンタモニカのジョギング風景が紹介され、

それは都市のライフスタイルとしてカッコイイんじゃないか、と。

そして、海の向こうの彼らは、

生活のなかに自然にスポーツを採り入れているよと…

何気に日本の空気を変えようとしている。

翌月はこうだ。

「ポパイは理屈が大嫌い」

70年安保を経て、日本には、依然アカデミックの風が闊歩していた。

この時代の主役雑誌は、言わずと知れた朝日ジャーナル。

とにかく、政治を語れない奴は生きている資格なし、

のような時代もあった。

しかし、これに対するアンチテーゼが、

平凡出版の「平凡パンチ」であり、

その軽さを継いだのがポパイのような気がする。

新しい時代の訪れだった。

ポパイの他、ブルータス、オリーブ、

本の雑誌、広告批評、NAVI、ミスターバイク、ビーパル等、

創刊ラッシュが起きる。

景気は更に上向き、

雑誌編集者もエンターティナーとなってゆく。

前述した木滑良久がテレビに出ていたのも、

こうした背景からだろう。

他、嵐山光三郎さんや、先に紹介した「本の雑誌」の

椎名誠さんらが加わる。

「編集者の時代」のあとがきは、

後藤健夫さんというポパイの創刊メンバーの方が書かれている。

それによると、

木滑良久さんの口癖は「男は少年の心を忘れてはいけない」

だったそうである。

更に、海の向こうの「エスクァイア」の創刊編集長であった、

アーノルド・ギングリッチの言葉として、

「雑誌づくりは青年の夢だ」を引用している。

一時代を牽引したポパイは、いまも刊行されているし、

ブルータスと共に、またまた息を吹き返しているようにみえる。

一見、なんの主張もないような雑誌とみる向きもあるが、

作り手には、実に熱いものが流れているのが分かる。

雑誌とか本づくりとは、本当はこのようなものなのかも知れない。

つくっている本人が面白くない本など、なんの価値もない。

この本を読んでいて、

なんだか私も再び雑誌をつくりたいと思うようになった。

ネットに較べて、予算、人員の割き方も去ることながら、

その投資しただけの企画とこだわり、

そして直しの利かない真剣さを求められるが、

それだけの価値が、この仕事にはある。

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