いまが通り過ぎてゆく前に

フレーズとして、このタイトルは綺麗だ。

バズというグループが40年くらい前に唄った歌のワンフレーズ。

詞は続けてこう言う。

ああ、愛と風のように…

ご存知、ケンとメリーのスカイライン。

通称ケンメリのCM挿入歌だが、

このCMのキャッチフレーズは、ずばり、

愛のスカイライン

である。

一見キャッチらしくないが、

これも純然とコピーライティングなのである。

ストーリーはこんな感じ。

若いカップルが、スカイラインで日本各地を旅する。

で、この二人は恋人同士であり、名がケンとメリーである。

スカGで知られるように、前作の箱型スカイラインは、

どちらかというと硬派であり、オトコのクルマであった。

それは、性能の高さや、レースでの栄光といった、

旧来のスカイライン。

このイメージを打ち破るべく、

ソフトなイメージのCMがこれだ。

当時、私はこのクルマに興味がなく、

いわゆる前作のハコスカが好きだった。

が、スカGの中古相場が高騰し、手が出ない。

で、走りのイメージがあり、

なおかつ当時斬新なデザインでデビューした、

トヨタのセリカを買った覚えがある。

後年、このCMのクオリティの高さが見直された。

そしてケンとメリーのスカイラインは伝説になり、

愛のスカイラインというコピーは、

いまだに胸に刻まれている。

商品の売れ行きと乖離しても、

心に残るCMというものが、

果たして優れているのかどうか、難しい。

しかし、当時のクリエーターたちが築いた世界観は、

相当に前衛と思う。

何故なら、そこに物語があり、背景があり、

商品の向こうにある価値を語っているからだ。

これは、カタチを変え、いまでも使われる手法だ。

全然古びてなんかいない。

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BigDogとAndroid

興味と同時に薄気味悪さを感じるのが、

ロボットの進化である。

遂にここまできたかと…

軍事用に開発されたBigDogは、

一見、その動きが滑稽だが、

コイツが兵団となって人を襲ったりしたら、

かなり恐ろしい。

が、人に代わって荷役や災害時に活躍してくれれば、

なかなか頼もしいのだが…

↓これは偽物です!

一方のAndroidは、その進化の方向により、

何をめざしているのか、

そこが私にはいまひとつみえない。

人に似た、ロボット。

受付嬢、新しいアイドル?

スキャンダルは起こさない。

たぶん。

また、孤独な人が、

新しい家族として迎入れるというのも、

そのうちありそう。

もう少しで、ロボット主導の時代がくる。

それは、想像するに、

共存共栄することで実現する良好な社会。

が、彼らが良くない企みでネットワークを組めば、

私たちを支配することも可能だろう。

ここが相変わらず、人のもつ矛盾なのだが、

包丁の使い途と同じく、

未来は人の良心に委ねられている。

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おとなって?

最近つくづく思うことだが、

おとなって演じるものなんだ、ということ。

だって年食ったって、

アタマの中ってそうそう変わらない。

最近になって、ようやくそれが分かった。

生きていれば、誰もがそれなりに社会に揉まれ、

いろいろな場でいろいろな人と出会い、

喜怒哀楽を重ねる。

で、世の中を見渡して、

他人を思いやることも覚えた。

が、何かが、相変わらずガキなんだなぁ。

変わらない。

変われない。

脳内年齢は、二十歳前後というところ。

まあ、人の親になって、曲がりなりにも子供を育て、

少し社会的に偉くなったりすることもあるけれど、

そうした場に出て、言っていることもやっていることも、

それなりの体面でしかない。

それがおとなと言えばそうなんだろうが、

その程度でして…

顔のシワが増えたって、白髪アタマでも、

根っこのところが、ガキの頃と変わらない。

強いて挙げればだが、ムカシより用心深くなった、

臆病になった、

そして、時間に限りがあることを実感するようになった。

それでもなお、落ち着いた振りをしている訳。

私ら、年いった人間はしかし、

一応永く生きている分、

なにかしらの修行に似た経験をしている訳で、

総じて我慢を強いられ慣れている。

会社で、街で、家庭で…

こういうのを年の功というのだろうか。

で、得たものは、ずるさ。

これを知恵と置き換えることもできるが、

そうしてエセおとなは、戦争を始めたりもする。

だから、知恵って、おとなの特許なのだ。

体力がなくなって、アタマでっかちになり、

ずるさが身についたとも言える。

落ち着いた物腰というのも、一見、理性的。

いつもにこにこしている輩も、

なにもいい人な訳じゃない。

或る忘れ物を取りに引き返すのを、止めただけなのである。

だからおとな諸君、

悟ったような自分を、かいかぶらないように!

そして子供諸君、おとなをあまり敬わないように!

思慮深くみえるのは、

実は、それだけ演技に磨きがかかっただけ、

なんですから!

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やなせたかしさんのこと

中学のときに好きな子ができて、

横浜駅の近くで画詩を一枚買い、

その子にプレゼントした。

画詩には、簡単なイラストに添えて、

こう書かれていた。

あるいちにちが

あった

海を見ていた

ただそれだけの

ことなのに

その日のことを

おぼえている

モノクロの絵が素敵だった。

鉛筆で水平線が簡単に描かれていて、

丘の上に人が立っている。

後ろ姿だけ。

絵も詩もシンプル。

なのに惹かれるものがあった。

やなせたかしというサインがあったが、

私は後年その人のことを知った。

それから遡ること数年、

小学校の校庭で遊んでいたとき、

校内放送から流れた歌が、

ふと耳に留まった。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

言われるとおり、太陽に向かって手をかざしてみると、

確かに手が透けるように赤く見えた。

ミミズも友達という歌詞が不思議に思えた。

父親になって、

子供たちの付き合いで、

テレビでアンパンマンをずっと観ていた。

バイキンマンとドキンちゃんがいつも悪役なのだが、

どこか憎めないキャラクターだった。

アンパンマンが雨に濡れると、

正義の味方なのにヘナヘナになっていた。

人気の秘密が、少し分かったような気がした。

やなせたかしさんの名が世に出て、

本格的に活躍し始めたのは、60代からだと言う。

彼の本を数冊持っていて、

そのなかに印象深いものがある。

「僕のように、

あまり才能に恵まれていない者は

ゆっくり走ればいい。

『あきらめるな!』と自分を叱咤しながら

目の前1メートルぐらいの地面を見て

走り続けるというやり方です」

「悲しいとき、絶望しそうになったとき、

握り拳をつくってみてください。

そして、握り拳で涙を拭くのです。

そうすれば、もう一度生きてみよう、と

立ち直ろうとする自分が、

涙のなかから生まれてくるのです。」

『やなせたかし 明日をひらく言葉』(PHP研究所 刊)

私のなかで、

やなせたかしと言う人は、

漫画家である前に、

詩人であり、

凡人が生きるに値することを教えてくれた、

先生のような人だった。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます

合掌

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ロックな生き方って?

ロックンロールだぜ、と以前から内田裕也が口をとがらして言うには、

ロックンロールというのは、

音楽以外の何かを示しているらしい。

生きる姿勢、根性、はぐれ具合。

だって、フォークだぜとか、演歌だぜって聞かないから、

きっとそうなのだろう。

で、ロックンロールとロックとどこか違うのか、

私にはよく分からないが、

理屈をこねると、ロックンロールは、R&Bのほぼ均等なエイト・ビートや、

ブルース・ジャズのシャッフル/スイングしたビート、

ブルースのコード進行や音階を応用した楽曲構成に、

カントリー&ウェスタンを混ぜたような音楽を指すらしい。

で、ロックは60年代以降に流行ったロックンロールの発展型とでも言おうか。

で、両者を区別するとややこしいので、この場合、異論もあろうが、

ロックンロールもロックも同義語として捉えさせてもらおう。

とにかくエレキギターとドラムを主体に、ガンガン歌い、踊る訳だ。

で、そのイメージは、クスリとかアルコール、そしてイカシタ女を連れ歩く、

そんな感じがする。

退廃的といえば、そんな感じ。

「明日のことなんか知らねぇぜ、分からねーなぁ」と、

ウィスキーをラッパ飲みしながらぼやいたりする。

故に、しっかりと人生計画を立てる人間は、ロッカーではないと言える。

明日をも知れぬリスキーな生き方こそが、ロックンロールなのだ。

私くらいの年齢になると、たまに年金のことが気になったりするが、

そんなことを考えること自体、ロッカー失格なのである。

なにしろロッカーは、破滅へ向かわなくてはならないのだ。

小金ができたらアパート経営をしようなどという輩は、

全くふとどきという他ない。

金を使い切って、とにかくやりたいことをやる。

後のことは一切考えない。

それこそ、ロッカーの鏡なのである。

あのキース・リチャーズは、薬漬けになって病院から退院した時、

「やった、元気になった。これでドラックができる」

と話したという。

また、シド・ヴィシャスは、

「俺は25になる前に死ぬ。死ぬ時までは、生きたいように生きてると思う」

とのたまった。

あらかた、ロックンロールな生き方って、こんな感じだ。

かようにロッカーたちは危険を顧みず、「いま」を生きる。

となると、矢沢や内田裕也って、ちょっと違うような気がする。

矢沢はロック的に生きているような気がするが、

マンション経営なんかに手を出しているようにもみえる。

内田裕也に至っては、ロックな生き方をしているというより、

いつ何を歌っているのかよく分からない、

更に商業的パフォーマンスのみが目立つように思える。

話を戻そう。

ロッカーである。

社会からはみ出した彼らが向かう先は、破滅だ。

だがその考え方、生き方の一端に、

ある種の純粋さが見えることがある。

それが人間らしいといえば、そのように映る。

例えて言えば、

掃き溜めの鶴のような、際立つデリケートさ。

人間のもつ特有の弱さが美しい神経線となって、

あの音楽を醸し出し、

それが彼らの存在を、唯一示しているのだ。

ジミ・ヘンドリックスが、

「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理されるな!」

という言葉を残している。

真剣に生き方を模索すると、

人間はきっと矛盾だらけなのだろう。

それをロッカーたちは追いかける。

やはり愛すべきは、ロックな生き方なのだ。

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勝手にコピー制作しました!

頼まれもしないのに、コピーをつくる。

これってなかなか面白いんですね。

私たちは、普段の仕事では、がんじがらめです。

当然、バテます。

が、こいつは、プレッシャーも成約も締め切りもないし、

自分で好き勝手にやっても、誰にも文句言われません。

自己満足の世界なんですが、どういう訳か、

スカッとします!

が、ギャラも当然ない。

寂しいのは、実はそこなんですけれどね…

初恋

生まれ変われるものなら

もの言わぬカタツムリになって

温かい雨に包まれ

庭先からあなたをいつまでも

みつめていたい

by サンヨーレインコート

本性

そのむかし

天使と悪魔が

酒を酌み交わし

意気投合してつくったのが

人間といういきもの

…だろうね

by サントリー角瓶

駅の改札でキミを待っていたら

いつもはジーパンなのに

あれっ

久しぶりのフレアスカート

裾が風に揺れて

僕の心が揺れて

by ISHOO

告白

例えば僕だったら

口うるさい雀になって

軒先から好きです好きですと

あなたに

ずっとうたい続けるって

迷惑かな…

by iTunes

絵画展、やります!

私の友人の画家、中垣ミツハルが、
絵画展をやります。

弊社プロデュースによる、
ちょっとユルいイベントです。

今回のテーマは「原色のLove&Peace」。
ちょっと難解なタイトルですが、
コンセプトは、癒やし。
色に注目してください。

実は、今回で2回目の開催。

1回目はてんやわんやの準備でスタートしましたが、

なかなかの盛況でした。

で、中垣ミツハルという人の作品ですが、

上手いとか下手とか、超越しています。

そんな尺度で観ると、そもそも絵なんて面白くないですからね。

どう描くかより、何を描くか?

アートって、やはりソウルだと思います。

会場は、小田急線本厚木駅近くにあるRiseという、

オシャレなカフェ&バー。

コーヒー、ケーキだけでなく、食事メニューも充実しています。

アルコール類も豊富に揃っています。

気が向いたら、立ち寄ってください。

深夜0時頃までやっています。

イベント情報
Rise 中垣ミツハル個展
「原色のLove&Peace」
入場料:熱烈無料(ワンドリンク制)
日程:2013年10月18日-10月28日(土日も開催!)
時間:11時Open-Lastまで(0時前後)
場所:Cafe&Bar Rise

130924チラシ作成印刷データ_

↑チラシつくりました!

↓お店のサイト

Cafe&Bar Rise

↓更に詳しいお店データはコチラ

http://www.hotpepper.jp/strJ000989225/

サイト訪問者からの購買・問い合わせを増やすには

サイトから、注文や問い合わせを倍増させるのは、容易ではない。

この場合、まず検索順位を上げる努力は当然だが、その対策は適当か?

また、キーワードの選定は?

それらをクリアした上で、反応は得やすくなるハズだが、

肝心のサイトの作りがおざなりだと、せっかくの訪問者も

すぐにサイトを離れてしまう。

ここは、離脱を減らす努力が必要だ。

トップページ、サイト内設計、そして、コンバージョン率

(サイトの総アクセスから、お問合せ・購買をしたいただいた割合)と、

検討すべきハードルは、いくつも用意されている。

今回のテーマは、サイト訪問者の最後の関門とも言うべきコンバージョン率について。

統計によると、実は、この最終段階に於いて、約7割が離脱するという。

要は、買うのをやめる、申し込みや問い合わせをしない人が、

10人中7人にのぼるということだ。

スマフォは90パーセント強と、更に高い離脱率が証明されているが、この場合、

スマフォの使用特性による、ユーザーの空き時間によるチェックという意味合いがある。

要は下調べだ。

だからといって、スマフォサイトを侮らないほうが良い。

ユーザーにとっては、大筋のアタリをつける意味合いがあるからだ。

話を戻すと、このコンバージョン率を上げる方法は、

ひとことで言うなら、訪問者への負担を減らす、得をさせる、

そして安心を付加することに尽きると思う。

これらが揃えば、コンバージョンは飛躍的に改善される。

例えば、アマゾンは、ここに最大の注意を払っている。

ユーザーの負担を減らすべく、3クリックで買い物が完結するよう設計されている。

これは要注目だ。

更に、類似製品の情報、比較検討材料、第3者による評価、プライス等の情報も豊富。

加えて、送料無料のものも多い。

安心感もお得さも兼ね備えている。

アマゾンを例に、小規模サイトに転用できるアイデアを考えてみると、

まずは、敷居を低くすること。

これは、例えば問い合わせ欄などの書き込み項目を、

簡単シンプルにすることが有効だ。

訪問者は、ものぐさでせっかち者と心得よう。

名字とメルアドのみでもコミュニケ-ションは開始できる。

相談のみからでも、見込み客の内なのだ。

フリーダイヤル、そして、店長に直接相談、

ものによっては、返品保証も唱いたい。

24時間以内にお返事致します等の文言も、有効手段だ。

要は、それがひいては信頼につながり、

企業や店の姿勢が先方に見えるようになれば、

価格も去ることながら、誠実な態度で臨むことは、

相手に安心感を与え、コチラを効果的にアピールできる。

訪問者が、とにかくあなたのサイトの問い合わせや、

買い物カゴまで来てくれたことは、言い換えれば、

もうひと押しの何かがあれば良い訳だ。

それを逃してはならない。

工夫することで、

サイトは更に活気づくのだから。

上を向いて歩こう

あばら屋だけど

まぎれもなく我が家だった

或る年の元旦の朝に

女性とその子供と思しき男の子が尋ねてきて

母は驚き

つつましいおせちを出して

精一杯もてなした

お姉ちゃん あの人たち誰?

知らない人

ふん

男の子は乱暴で

僕の戦車のプラモデルを

壁に投げつけた

松飾りがとれる頃

父と母の怒鳴り合う声が聞こえた

それは幾日も続いて

それでも姉は

いつもと変わらず

小学校へと走って行った

僕が夜中に目覚めると

別れる そしてどうする

そんな父と母の ののしり合いが聞こえた

僕はお姉ちゃんの手をぎゅっと握った

お姉ちゃんの寝息が聞こえた

お父さんかお母さんがいなくなるってどういうことだろう

僕はこのウチにいられるのかな

いまの学校へ通えるのかな

みんなバラバラになるのかな

僕はひとりになっちゃうのかな

ひとりになったらどうしたらいいんだろう

僕は怖くて朝まで起きていた

そして

学校の裏庭で何日か泣いた

それからいろいろな事を考え

それは浅はかではあったけれど

僕は強くなると決めた

それから何回も

泣きたいことがあったけれど

せめて

上を向いて泣こうと…

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Allentown 原風景

私の生まれた町は、

晴れた日も、空は灰色がかっていて

いつも鉄を叩く音が町中に響いていた。

川はときに緑色に染まって、

毒々しいほどに淀んでいた。

海へは歩いて15分で行けたが、

岸壁に打ち付けるのはゴミの山で、

そのなかに、

何故か必ず、犬の死骸が浮いていたのを覚えている。

いま、中国の北京や上海がとても汚染されているらしいが、

自分の原風景と変わらないじゃないかと、

ときにひねくれて思う。

東京オリンピックが開催された翌年、

私はこの町を離れることになったが、

自分があの町で育ったという意識は、

きっと死ぬまでつきまとうだろう。

20代のとき、

とても好きなアーティストに出会った。

ビリー・ジョエル。

彼に都会の憂鬱を歌わせたら、きっと右に出る者はいないだろう。

そしてアルバムを聴いていると、

私は不思議な郷愁に誘われるのだ。

Allentownという曲は、

以前から気にかかってはいた。

が、アレンタウンという町がアメリカの何処にあるのか、

私は全く知らないし、調べる気もない。

が、あの詞は放ってはおけない憂鬱さを抱えている。

きっと、無意識のうちに自分の生まれ育った町が浮かび上がり、

その原風景が、私を引き寄せるのだろう。

「Allentown」

僕たちは 

このアレンタウンという町で暮らしている

工場は次々に閉鎖されていく

ベルツヘルムではみんな暇を持て余し

仕事の申し込み書を書いて 長い列に並んでいる

僕たちの親父たちは第二次世界大戦を戦って

ジャージー・ショアで週末を過ごしていたらしい

そしてお袋たちと知り合いになり ダンスを申し込んで

優雅に踊っていたらしい

僕たちはこのアレンタウンという町で暮らしている

安らぎなんてないし ますますこの町は住み難くなっている

僕たちはアレンタウンで暮らしている

ペンシルバニアに逃げる手もあったけれど

先生たちはいつもこう言っていた

一生懸命働けば 立派にさえしていれば

必ず報われるとね

壁に貼った卒業証書も 結局何の役にも立たなかった

僕たちは要するに何が本当の事なのかということを

教えては貰えなかった

鉄にコークス そしてクロムニウム

地下にある石炭も残らず掘り尽くすと

連中は次々と逃げ出した

だけど 僕たちはまだ大丈夫さ

親父たちぐらいの根性はもっている

しかし 奴等が例の場所へ行く途中で

僕たちの顔をめがけて アメリカ国旗を投げつけたんだ

僕たちは このアレンタウンで暮らしている

善人をここに留めておくのは とても難しい

しかし 僕はここを出ていこうとは思わない

この町はますます住み難くなっている

だけど僕らはアレンタウンに住んでいる

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