彼女のロミオ

イタリアの北の町、ヴェローナへ行ったことがある。

中世の美しい街並みと石畳が印象に残る静かな町で、

中央に大きな河が横たわる。

河沿いの道をしばらく歩いて一歩横へ入ると、

シェイクスピア作の戯曲「ロメオとジュリエット」の舞台となった、

古めかしい建物が建っている。

意外とこぢんまりとした建物だったので、ちょっと驚いた。

庭には、ジュリエットの銅像が佇んでいる。

私は、他の目的でこの町へ来たので、

ここの事を友人から聞いて初めて知った。

皆がジュリエット像のふくらんだ胸をやたらに触るらしく、

そこだけやけに艶があって光っていたのを覚えている。

私は友人の付き合いできたので、

目的もなく、ただ町をぷらぷらしているだけだった。

いつしか暗くなってくると、アルプスから舞い降りてくるという粉雪が、

横から吹き上がってきて躰を冷やし始めた。

あまりに寒い。

私はコーヒースタンドに入って、エスプレッソで暖まることにした。

そこで思い出したのがオリビア・ハッセーがジュリエット役を演じた、

映画「ロミオとジュリエット」だった。

この人は、ただ可愛いだけでなく、美しさも兼ね備えた、

希有な女優さんだ。

いつ頃だったか、オリビア・ハッセーは布施明と結婚したが、

なんだかいつの間にか別れてしまった。

こうした話題自体、私は興ざめしたのだが…

最近になって、この一連の話を奥さんに話したら、

彼女も「ロミオとジュリエット」は印象深いらしく、

中学のときにこの映画を観に行った話をしてくれた。

曰く、あの感動はいまも忘れられない、という。

そうか、そういうもんかなと…

やはり奥さんも当時は好きな人がいて、

やがて付き合うこととなったが、

ご両親の猛反対で、頓挫しかけたことも…

で、最後は家出を決行したこともあるというから、

かなり情熱的。

ふーん。

で、家出は彼氏の説得で未遂に終わったが、

相手の彼氏も罪ではある。

ご両親の猛反対の理由は、映画と全く同じとはいかないが、

少し似通っていた。

家柄が合わないのがまずひとつ。

いや、映画では家同士の争いだったか?

まあいい。

そして、もうひとつの理由が、相手が不良だった、

ということらしい。

へぇ、それはしょうがないな、

と私が笑う。

「そうね、この年になると親の気持ちが痛いほど分かるわ」

と奥さん。

この人にとっては、その当時の彼が、

まさしくロミオだったと言うのだろうか。

ほぉ、思い出したよ、

それって、ほぼ俺のことじゃないのか?

「そういうことになるのかしら…」

……………

人は一生に一度くらい主役になれる!

※手前味噌なオチでスイマセン!

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同志よ

理不尽に生きてきた友は、

あと数年しか生きられないだろう。

奴が笑ったのを見たのは、わずか数回。

あとは苦悩する哲人のように、

いつも何かのこたえを探すような目で、

遠くを凝視する。

友よ、お前は世間に合わなかった。

いや、この世に合わなかったと言うべきか…

お互い、せせら笑われることしか、

なかったしな…

俺たちが被った理不尽な扱いは、

きっとあの世で解消されるだろうよ。

そして、

あの世がいま、お前を必要としているのだ。

友よ、いまお前は何を想う。

怒りか、

悲しみか、

ひょっとするとため息まじりの、安堵か?

先へ行ったら、俺の話も聞いてくれ。

決して理解し合う間柄ではなかったが、

先を思うと、つい唇を噛んでしまうのだ。

な、もう一度会おうぜ。

罵り合い、殴り合い…

お前と俺はよく険悪になった。

が、俺をまず認めてくれたのは、

実はお前だったんだ。

だから面白くもない台詞だけれど、

友よ、

やはり眠らないでくれと…

同時代を生きてきた証に、

同志として、

もう一度だけ、

俺はお前と語り合いたいのだ

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夢中さ君に

同窓会

数年前、幼なじみから同窓会をやろうと言われた。

その後、他の友人からも同様の頼まれ事を受けた。

で、話を聞いていると、幹事はどうも私ということらしい。

うーん、なんで?

理由は、ワルにも真面目組にも女の子にも顔が利くから、

ということ。

で、そのまま放っておいて、数年後、

別の友人にその話をしたら、

「行かないね!」と。

でですね、最近またまた別の幼なじみに、

同様の話を持ちかけたら、やはりアッサリ断られた。

うーん、なんで?

いい思い出ないし、いや、そもそも記憶がないから…

うーむ、この年になると、

同窓会ひとつひらくのも難しいな!

夢中さ君に

大学ではなく、中学校はキャンパスとは言わないな。

で、その子は、運動場でまぶし過ぎた。

体育祭の日、400メートルリレーの選手として出場。

スリムな体にバトンを握りしめて、

先行く女子をアッと抜き去った。

カモシカのような脚。

ボーイッシュなヘアが揺れていた。

彼女に夢中になってから、僕のキャンパスライフは輝いた。

僕は水泳部。

3年のときの水泳大会は、絶対に負けられないと思った。

で、タッチの差でギリギリ一位にはなれたが、

彼女がこのシーンを見てくれていたのかどうか、

それがいまもって不明のまま。

最近、このことがいちいち気になるな。

悔いのない人生

終活が人気らしい。

終活とは、年喰って身の回りを片付けたり、

お墓を準備したり遺言を書いたりして、

いざというときのため、身ぎれいにしておくこと、

らしい。

備えあれば憂いなしということか。

入念な準備はよいこと。

と、そんな内容のニュースを観ていたら、

なんだか他人事のような気がせず、

悲しくなってきた。

「悔いのないようにしたい」と、

棺桶に入る体験をした年輩の方が笑いながら話す。

が、しかしこれを観ていて、うむと思った。

生きているとは、悔いることに他ならないんじゃないか?

悔いのない人生なんてね、

ないんだから、とね。

冬散歩

写真 4

写真 3

お久しぶりです。

景色評論家の冬景色宗介です。

今回は、冬らしい景色というテーマで、

写真を載せました。

皆さんもご存知のとおり、

いや、知らない方もいらっしゃいますが、

私は雪国暮らしではないので、銀色の風景とか、

そういうものは、今回はないです。

身近に撮ったものですので、神奈川オンリー。

簡単に撮影を済ませ、なお良いショットを撮る!

これが、セコイ景色評論家のですね。

今回は、湘南と少し奥まった山間部を狙い、

パシャといきました。

こうした景色は、四季を通して撮ることができます。

が、なんというか、冬はキーンというか、

空気感がちょっと違いますね。

冷たさは、画面に緊張をもたらします。

また、葉の落ちた木々や、危うい空の色でも、

冬らしさは際立ちます。

写真 1

さて、今年の冬は寒いので、

私はヒートテックのアンダーシャツを買いました。

ラクダのシャツも良いのですが、

高いしダサいし…

で、風呂場に簡易ミストを設置。

入浴3分前にONにすると、

おやっ、風呂場がほんわり暖かい。

いいですよー。

で、寝床には、湯たんぽですね。

最近の湯たんぽはプラスチック製なのに、

保温力が高く、朝まで冷めません。

皆さんもお試しあれ!

では、冬景色でした。

キボウ

そのオトコは

腕の傷を隠して町から出て行った

妻に別離を言うことなく

友に挨拶をするでもなく

腕の傷は

自らの過去から現在に至る

朽ち果てた己を悔いる

自傷行為だったのだが…

当て処ない草原を歩く彼の上に

星が瞬いていた

月がまるでオトコを庇うように

クッキリと影を描く

皮のコートにくるまって

枯れ草の上に寝転がると

ひんやりとした感触が

背中を覆う

躰を丸めて

今夜はここで寝ようと

そして

何も思わないように

すべて見ないように

目をつむると

涙が溢れて

それが

草に沁み入る

そうして

月に照らされた涙がつぶやいた

「お前はな、

何も悪いことはしておらん。

悔いることなどなく働いたじゃないか。

運がなかっただけなんじゃ。

それだけのことじゃよ」

陽が昇る頃

オトコは傷の痛みで目覚めた

ふと見上げると

まわりを

妻と友が囲んでいる

オトコはハッとして

再びうつむいてしまった

そしてまた涙が溢れた

朝の光が

皆の影を長く伸ばす

陽を受けた涙の精が

「お前はもう大丈夫、

大丈夫じゃて」

と呟いた

「お腹が空いたでしょ」

妻がサンドイッチを手渡す

友が

「もし俺が死んだなら、

弔ってくれるのはお前しかいない。

だからさっさとお前がいなくなると、

俺が困るんだよ」

と笑って

オトコの帽子をめくり上げる

陽が高くなった

オトコはいままでのすべてを

ようやく受け入れることにした

町に戻ったそのオトコが

人生の成功といえるカケラを掴んだのは

それから15年の後だった

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小舟

小舟に揺られて

白い浜辺に辿り着いた

刺すような日射しで

頭がクラクラする

肌が焼けただれ

水筒の水も切れて

船では

数度、嵐にも遭った

しかし

もう駄目だ、とか

僕は決して思わなかった

だって

僕は産まれてから

ずっと奴隷だったんだ

そこを逃げ出したんだよ

僕にとって

そんな希望に充ちていることはないと

君はそう思わないかい?

8日目の朝

憧れの島影が見えたとき

その美しい島から吹く風が

僕を森へと導いてくれたんだ

白い砂浜へ船を着け

奥へ奥へと僕は進む

青い森さ

「おーい」といくら叫んでも

誰も応えない

なのに

丘にせり出して建っている

小さな宮殿に

やはり

眠り姫と財宝は眠っていたんだ

伝説が目の前にある

そこには

水や果物もたっぷり

溢れるようにあるんだ

こうして僕がみつけた

地図にない

南の果ての

伝説の島だが

もう僕の事は誰も知らないし

このことを教えてくれた老人も

もう死んでしまっていた

だから

この島の事は

誰も知らないのさ

僕はね

ここから

新しい物語をつくろうと

そう思ってね

相変わらず

眠り姫は起きてはくれないが

魔法を解く方法は

必ずいつかみつかるハズさ

僕の自由は

きっといつか

世界を変える

少しづつだけれどね

さあ

だから今度は

君が君の小舟を

探さなきゃね

広告の普遍的手法

いまでは広告も日々進化し、

正直、専門の私たちも追いつかない所があるのが現状だ。

特に、ネットメディア手法の移り変わりは早く、

最新の情報が半年で陳腐化することも、ままある。

が、そうした事例はさておき、

広告が、常に人相手であることに変わりはない。

そこには、当然のように感情がつきまとう。

ではなぜ感情なのかだが、

総じて人の心を動かすのは理屈ではない、というのが、

広告の歴史から得られた答えである。

例えば、クルマなどはスペックが重要な要素を占めるが、

ならばスペックの優れたクルマが一番売れるハズ。

だが、実際はそうではない。

それはデザインかも知れない。価格の可能性もある。

いや、メーカーで選んでいるのかも知れないし、

ひょっとすると広告や販促物で決めた場合もあるだろう。

選ぶエレメントは、実に多彩だ。

ただの理屈だけで、人はモノを買わないのだ。

人の感情が介在する限り、

広告が一筋縄ではいかない難しさがここにある。

話は変わるが、先日NHKのクローズアップ現代を観ていたら、

NPOに携わる方たちの苦悩が語られていた。

曰く、寄付金が集まらない、人が集まらない…

志高く、困った人たちをサポートすることを旨とする彼らにも、

やはり或る特定の手法が必要と、

アメリカで活躍している現役のプロが語っていた。

彼の名はマーシャル・ガンツ博士(ハーバード大)。

アメリカで人種差別撤廃に向けた活動や、

数多くの草の根運動を成功させ、

オバマ大統領の再選にも係わった人として名高い。

そして、その彼が日本の活動家に語るその手法は、

実にシンプルなものだった。

そのアウトラインを話すと、まず「物語」を語れ、

ということであった。

ここでいう物語とは、

例えば差別された経験やいじめられた過去を躊躇なく皆に披露し、

まず自らがオープンになること。

そして、その経験から、話は「あなた」へと移行する。

あなたもそんな経験のひとつやふたつありませんか?

と、共有を図ってみることだと言う。

そして、私とあなた方と共有するものがあれば、

これは他人事ではなく、一緒に問題解決に向けて、

動きませんか、と。

こうして物語は、次第に人の心を揺さぶり、

そして徐々に広がってゆくというのである。

このテレビを観いて感じたことだが、

内容が実に古典的な広告的手法であるということだった。

ゲストの糸井重里さんも、やはりそのような内容の話をしていた。

思うに、広告の手法とは、

なにもモノを売るだけの手法ではない、ということ。

いかなる場面でも、転用が可能なのだ。

「人は感情で動く」

そこに普遍性がある訳だ。

そのことを理解していれば、後はトライ&エラーを繰り返すのみ。

それしかない。

なぜなら、広告を学ぶことは、よく人間というものを知る、

ということに他ならない。

だからタチが悪い、

終わりがない、

いや、だから面白いではないか。

辛いときは、カレーを喰え!

落ち込んだら、カレーである。

なんでかというと、香辛料がセロトニンをドバッと出す…

からである。

セロトニンというのは、「しあわせ」を感じるホルモン。

だからカレーなのである。

では、なぜカレーがセロトニンを出すのか、

詳しいことは忘れた。

出所を忘れたので私が書くとウソ臭いのだが、

これは事実だ!

では、いつもカレーを喰っているインド人がどのくらい幸せなのか?

それは私も知りたいところだが、

あいにくそうしたデータもない。

私にはインド人の知り合いもいない。

かなり信ぴょう性に欠けてはいるが、

では、カレーの香辛料が内臓にどのように作用するのか?

知ってのとおり、カレーを喰うとカラダがあつくなる。

これは内臓が温まって、発汗を促すからだ。

そして、なんとセロトニンは腸から出ているのであった!

これって、大事。

ここまで良し。

ハアハア…

要は、香辛料が胃腸を刺激し、活動を活発にするからだ。

胃腸が活発であるということは、内臓温度も高いということで、

内臓温度が高くなると、健康になるという理屈である。

この理屈は諸説あるが、カラダを温めると健康になるという理屈は、

現在ではかなりの研究者に指示されている。

また、腸は第二の脳と呼ばれていて、感情を司るとも言われている。

いわば、腸が元気であれば、健康体、

そしてメンタル的にも強くなれる、という訳である。

腸といえば、いま話題のヤクルトのシロタ株やR1-ヨーグルトの他、

ナノ乳酸菌というのも話題になっている。

乳酸菌が風邪やインフルエンザの予防に有効であることは、

ご存知の方も多いと思う。

こうなると、やはり腸なのである。

キーワードは、腸である! (キッパリ)

ハアハア…

腸を温める、腸を元気にすることは、

健康への近道と捉えても良いだろう。

そして腸が元気になると、カラダだけでなく、

メンタルも丈夫にするという点が、新鮮な発見ではなかろうか。

きっと乳酸菌の類いも、

カレーに入っている香辛料も、

同等の力を秘めているのだろう。

そしてだ、ついでに言うと、

インド人はカレーを喰った後、ヨーグルトを食すという習慣があることだ。

うわぁ、凄い!

インド人はなんでも知っている。

すべてお見通しなのだ!

インド人、恐るべし。

インド人、バンザーイ!

ハアハア…

今日はカレーだ!

↓インド人、元気

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君に捧げるサンバ

年またぎ案件

12月決算としている弊社は、

毎年、年末になるとバタバタとしているので、

常々決算月を変えようと思ってはいたが、

もう己の変革のなさを諦めた。

で、年またぎ案件が10案件ともなると、

売り掛けも多く、処理の仕方も難しい。

双方の見解の相違もあるし、

決算書も見栄えが必要だし…

が、なにより正月にふっと思い出すのが、

この年またぎ案件。

興ざめだ。

陽のあたる暖かい部屋にスッと入ってくる隙間風のように、

ゾッとくるから、きっと心底休んではいなかったのだろう。

君に捧げるサンバ

久しぶりにサンタナを聴いたが、

やはり彼のギターはいいなぁ。

花をあげるのもロマンチックだし、

チョコをプレゼントするのも、

なんだかほのぼのとしている。

が、君にうたをあげるって、

なんてカッコイイのだろう。

サンタナは、アメリカのラテンロックバンド。

日本ではブラックマジックウーマンで有名だ。

独自の道を拓いたバンドだが、

そのやさしい音色という点では、

この曲が一番!

短歌

年初に短歌の本を購入。

以前から気になっていた俵万智さん。

サラダ記念日しか知らないが、

あの方って、実はかなり凄い人でした。

ずっと短歌の人である。

いろいろ難しいことも書いてある。

が、句を詠んでいると、なるほどと…

どれも味わいがあって奥が深い。

俳句は五七五だが、

短歌は五七五七七。

うーん、コピーとまた違った制約が。

で、私も一句。

年賀一枚

お元気ですか?の

走り書きに

今年こそ会おうと

心動いて

●君に捧げるサンバ

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新春の句

元旦、国道を馬がパカパカと、お前ばかばかと聞こえる

顔色の悪い日本猿に同情する、養命酒をあげようか

おっ天下統一の手相だ、と占い師、いやアカギレですと

値段で選んでしまった、風通しのよいダウンジャケット

思わず会釈したほどの、キリッとした顔の牛、凜々しく

爺さん、サクッとした歯ごたえの餅だから喉は詰まらんよ

遂に日本列島東へ移動、中国・韓国・北朝鮮・ロシアに囲まれちゃあね

焼く手間を省いたような、陽に焼けたシャケ弁当のシャケ

下着のようなスラックスの下に、サーフパンツ、ごわごわするな!

林家ペー・パーは、果たしてピンクのクラウンを買ったのかな?

総理になりたかった橋下さん、夢破れ、アイムソーリー

どうも、お粗末さまでした!