ラフター(笑い)ヨガは、手ごわい!

半年ほど前にラフターヨガっていうのを知った。

いわゆる笑いヨガ。

いまや、全世界に拡がっているというから、

黙って見ている訳にはいかないのであった。

笑うと免疫力が上がるとかストレス解消とか、

まあ、いろいろ健康に良いらしいことは

以前から知っていた。

また、笑うという行為は、

カロリーも効率良く消費してくれるという。

呼吸もヨガというだけあってとてもよろしい、そうなのだ。

オトナになるとあまり笑うこともなくなる訳で、

こうなると顔面の運動不足でもあるし、

不機嫌そうな顔ばかりで愛想がないのもよろしくない。

で、これは良さそうと喰いついた私です。

とりあえずYouTubeを開いて検索。

と、ほうほう、みんな笑っているではないか!

しかし、じっと見ている私は全然おかしくない。

見つめるほどに不思議な映像だな、と私。

ふん、面白いとも何ともないではないか!

しかしだ、ラフターヨガの説明を聞いて分かったのだが、

笑うという行為自体に意味がある、らしいのだ。

おかしくなくても、とにかく笑うこと。

笑えば、脳が騙されるという。

ふむふむ…

そんなものかねぇ?

という訳で、私はパソコンを前にして全身を動かし、

呼吸を真似、勢いつくり笑いをしてみる。

なんか不自然。

けれど、めげずに続けると、

なんだか少しだけ楽しくなる。

部屋には誰もいない。

映像を真似て、ちょっと大笑いをしてみる。

家人がこないか、ふとまわりが気になる。

このとき、笑い消える 汗!

めげずに、ラフターヨガ再開。

大きく手を拡げて、深呼吸。

息を止める。

で、徐々に息を吐きながら「ハッハッハッ」と笑う。

で、グッタリと体中の力を抜く。

そしてだ、

再び、「ハッハッハッ」と大笑いする。

これで私の脳は完全に騙された!

しかし、

いやぁ、そうはいかない、私は騙されないぞ!

と、もう一人の自分が顔を出してしまった。

「オイオイ、困るな!」

―ホント困るんだよな、こういうときに出てくるなっつうの!―

という訳で、自己との格闘がかれこれ20分ほど続いた。

と、汗だくになっているではないか。

息が上がってハァハァしている自分がいる。

「これはいいぞ!」

と思ったのだが、何故か突然不機嫌になる。

「ふん、こんなもんに私は絶対に騙されないぞ!」

おおっ、気がつくと、

再び私の中のもう一人の私が出てきた。

道理でネガティブ。

こうなると、内なる自己の相反する感情の戦いである。

この戦いはもう自分では止められない。

ラフターヨガを巡る内なる二つの感情は、

果たしてこの先、どんな結果を迎えるのか?

あれから暇をみつけ、

幾度となくチャレンジしてみた訳だが、

その日その日毎に、感情の勝敗が分かれるのが、

私なりに分かった。

楽しかったなぁ笑いヨガっていう日もあれば、

ふざけるなよぉ笑いヨガという日は、

ホントにその日はろくな事しか無く、

ストレス満載という日であった事等。

さて、このヨガをこの先も続けるか否かだが、

正直、結構心身共にしんどいのであるからして、

迷っているのがホントのところ。

とりわけ、私の中の内なる戦いが激しいときは、

更に疲れを倍増させる。

さすがにヨガは深ぇ。

恐るべし、ラフターヨガなのである。

アナログレコードを捨てる

永年眠っていたレコードを屋根裏でみつけた。

レコード5

↑捨てられなかったレコードの一部です。

40年~45前のものばかり。

で、思いっきり捨てようと決心する。

が、一枚一枚眺めている間に気が変わった。

ジャケット写真やデザインに、

そのレコードを聴いていた頃の事が鮮やかに蘇る。

うーん、

こうなると、仕分けとなる。

捨てる、とっておく、その判断に苦しむ。

煩悩…

現在、我が家では「捨てる」が流行っている。

当然、要らなくなった物を捨てる作業だが、

これが積もり積もった塵のように、

そこら中からゴッソリ出てくるではないか。

気がつけば要らない物ばかりの中で暮らしていたのだ。

断捨離というのが一時流行ったが、

こういうことなのかと今更ながら納得。

しかし、断捨離ってもっと厳しいらしい。

断=入ってくる要らない物を断つ

捨=家にずっとある要らない物を捨てる

離=物への執着から離れる (ウィキペディアより)

以前、或る女性有名文化人の本を読んだら、

断捨離という表現では書いてなかったが、

要らない物を処分したら、

最後はボストンバッグ一つになったという。

物への執着を一切捨ると、

身軽かつ爽快な人生が待っているらしいのだ。

ふーん、己は甘いなと自戒。

しかし、シンプルライフってカッコイイけれど、

どこか「この世を去る」準備のように思えて、

いまひとつ寂しいように思ってしまう。

「神さま、まだやりたい事がいっぱいあるので、

レコードさえスパッと捨てられません。

どうしましょ?」

そんな心境です。

実際、我が家は捨て続ける一方で、

毎日毎日、本は増え続けているし、

「今度のクルマはやはり黄色いビートルにしようかな」

などとほざいているのであるからして、

断捨離の心なんぞ全然分かっていないし、

未だ物欲で走り続けているのである。

更にレコードを聴くためにですね、

針付きのプレーヤーの無い事に気づき、

早速アマゾンをチェックする始末。

こうなると己の浅はかさに呆れるばかり。

よくインテリ人種が、

「あいつは俗っぽいね」などと、

上から見下ろすように言い捨てるのを聞いた事があるが、

確かにその通り。

それは「私」です、ハイ!

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レンタルビデオ屋に通い詰める

最近、ゲオというレンタルビデオ屋さんで

怪しい行動をしているのは、私です。

パッケージを手にとってピクリともしない。

帯のコピーとか写真にジッと見入っている。

そして「うーん」とか「ウン?」とか呟くのです。

自ら少し変だなぁと思って周りを見回すと、

ちょっと驚いたんですが、

同じような人って結構いるものなんですね。

そんな訳で、寝る時間を削り、

できる限り映画を観ています。

セレクトは準新作が主ですが、

過去に見逃したものが中心。

範囲はサスペンス、冒険もの、恋愛系と節操がありません。

片っ端から借りてきては、遅い夕飯の後に見入っています。

そもそものきっかけはですね、

たまにテレビを点けると、

これがかなり詰まらないものばかり。

たまげましてね。

面白い番組は事前チェック。

毎週ハードディスクに録ってますから、

大丈夫なんですが。

それ以外にアタリという番組が余りに少ない。

「チロリン村とくるみの木」から永年テレビを愛してきた世代として、

これはかなりまずい状況だと思います。

おまけにコマーシャルまで面白くないものばかりなので、

絶望しまして。

で、映画に走った訳です。

映画はいいですね。

それが愛だろうが死だろうが戯言だろうが、

戦争だろうが、宇宙人だろうが、幽霊だろうが、

とりあえず私は日常を脱出して、

感動したり恐怖したりしている訳です。

エンドロールが流れると、すでに夜半過ぎ。

私はその余韻も去ることながら、

今日のクソッ垂れな出来事をサッパリと忘れて、

寝入ることができるのです。

8月の家族たち

はじまりのうた

プレテターズ

ヘアスプレー

サマータイムマシンブルース

チョコレートドーナツ2

ワンデイ

ニューヨーク冬物語

「8月の家族たち」「はじまりの詩」「プレデターズ」

「ヘアスプレー」「サマータイムマシン・ブルース」

「チョコレートドーナツ」「ワン・デイ」「ニューヨーク冬物語」

etc…

えっと後なに観たっけなぁ…

映画ってホントにいいですね!

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歳をとると忙しい、らしい。

先月72歳の誕生日を迎えたご近所の春枝さんは、

年々、早起きになってしまいましてと、

困り顔で話されました。

「そうですか~」と私。

「若い頃は、昼過ぎまで寝てたんだけれどね」

と懐かしむように笑われました。

で、春枝さん。

まず早朝の薄暗いうちに近所を軽く歩く訳です。

この歩くという行為が、

若者には理解し得ない貴重な習慣とか。

曰く、歩いて少しでも筋力を養おうという意欲も去ることながら、

老化絶対はんた~い!、だそうです。

歩く先々では、アサトモ(朝友)と挨拶を交わしたり、

立ち話をしたり。

これも立派なコミュニケーションですね。

あと、朝陽を浴びるとよく眠れますよ、だって。

潜在的な脅迫観念で歩いていらっしゃるのかなぁ?

春枝さんは週に3日、

午前中は早くから、近所の公民館へ行かねばならない。

そこでは絵手紙教室をやっていて、

僅かな授業料で

懇切丁寧に教えてくれるところが嬉しいのだとか。

ホントは、その絵手紙がうまかろうが下手だろうが、

そんなことはどうでもいいそう。

脳ミソを使う、手先を動かす、みんなと話をする。

これでボケない、友人もできる。

一石二鳥以上の収穫なのよ、と。

さて、授業が終わるとみんなでお茶…なのですが、

そこで皆さんの持病の話に華が咲くのよね。

春枝さんは、まわりの話を聞いて内心ほっとするらしい。

みーんな何かしら患っている訳!

おっと、今日はそんな話をのんびりしている場合ではないわ。

で、春枝さんは「皆様、ごきげんよう!」と小走りに15分程歩いて、

馴染みの医院へ診察カードを出しに行ったらしい。

散々待たされている間に、

「主婦の友」を半分まで熟読してしまい、

今度はうたた寝。

と、看護師さんからいきなり呼ばれまして、

病室へふらふらと。

「望月さん、やはり平均よりかなり高いね、血圧。

下がらないね、うん、飲み続けましょうよ。

もうね、こうなるとこの薬とは一生のお付き合いになるね」

人なつっこい笑顔の先生に促され、

半ばしょうがないといった感じで薬を頂いたのよ。

今度は、病院から5分程引き返したスーパーで買い物。

小松菜、卵、即席ラーメン、夜は独り鍋にしようかしら、

と鍋セットもカゴへ。

で、自宅に戻って簡単なお昼を済ませ、

ちょっと横になる春枝さん。

なんと、自分のいびきで目が醒めてしまいました。

「ひるおび」を見損なって、

腹立たしいったらあらりゃしないのよ!

こうなると、「ミヤネ屋」に釘付け、

ガン見ですから!!

芸能ニュースにゃ目がないんですが、

こういう趣味はいつからなのか、

本人もトンと覚えていないらしい。

なんだかんだで夕方に突入すると、

ユニクロで買い揃えたナウなジャージの上下が、

カッコイイと春枝さん。

傾いた午後の陽を浴びながら、

これで、町内を一回りも二回りもするんですが、

目標は厚生労働省の発表どおり8,000歩をめざす。

春枝さんは、若い頃から几帳面だった。

陽が落ちてくるし、だんだん薄暗くなってくるも、

決してくじけない。

(夕飯は何にしようかしら?)

おっと、汗が化粧を溶かして顔がヤバイ。

が、外も薄暗くなってきたし年も年だし、

ここはもはや気にしない開き直りで

歩き続ける春枝さんでした。

ようやく歩数計が8000歩を示すと、

どっと疲れが出る。

心地良い達成感と同時に、

「生きているんだ」という実感が、胸に迫り来る。

だから止められないのよね…

というか、背後に迫る死神に捕まらないためにも、

頑張るしかない春枝さんには、もはや後がないらしい。

旦那を5年前に亡くした春枝さんは、

独り身ながら元気かつ生きる意欲が旺盛です。

そして、仏壇には毎朝欠かさず手を合わせているのよ。

さて、いまの悩みは、テレビの通販番組で知った、

骨粗鬆症に良いと言われているグルコサミンを買うかどうか。

汗を拭いながら、膝の痛みを考えると…

「やはりあのフリーダイヤルに電話してみましょう!」と

ようやく決心がついたようです。

夜、体操をしながら

大好きなテレビ番組のひとつである

「お宝探偵団」を観ていると、

突然電話が鳴ったのよね。

「こんな遅くに誰かしら?」

知らない電話番号、

思えば一ヶ月ぶりに鳴った電話だった。

恐る恐る受話器を取ると、

なんと小学校時代の同窓会のお誘いだ。

電話の主は名前だけは知っているクラスメイト。

聞けば30人位は集まるとか。

「出席させて頂きます、ハイ!」

嬉しさに久しぶりに胸が高鳴るも、

思えば、前回の同窓会が約30年前だったけれど、

なかには60年ぶりに会うクラスメイトもいると思うと、

懐かしいというより、

なんだかどっと疲れを覚えましてね。

「みんな元気なのかしら?」と

何気なく春枝さんは尋ねたらしいのですが、

それがね…と電話の向こうが言うには、

「だいぶいなくなっちゃったのよ」

(………)

翌朝から、春枝さんの歩くスピードは更に増し、

距離もグングン伸びたようです。

己の生命力にムチを入れるように…

そして顎とウェストの贅肉をそぎ落とすぞ、

と今更ながら明確な目的が設定された為でもある。

「負けませんからね!」

春枝さんに落ち込んでいる暇はないと言う。

「なにしろ私はいま忙しいの!!

死んでる暇なんかない訳よ」

と春枝さん。

私は思わず後ずさりして

「そっそうですよよね、私もそう思います!」

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ネットの時代に、あえてペーパーを推す訳。

ネットの時代、いまやペーパーレスとはいっても、

相変わらず印刷物のオーダーは続いています。

今後はどうなるか分かりませんが、

ペーパーにはそれなりの良さがあると思います。

個人的な事ですが、私はあまり電子書籍は買いません。

なぜ?と問われれば、きっと買ったものの実体が薄い。

実感が薄いと、人はその価値さえ薄れてゆくので軽んじる。

よって買ったものさえ忘れてしまう自分がいます。

こんな考えは古い人間だからでしょう。

若い人にそんな感覚はないのだろうと思います。

それにしても、ペーパーの良さは、あの実体です。

邪魔だろうと部屋が狭くなろうと、

そのように存在する。

存在感はありますから…

で、印刷物のオーダーは相変わらずあるという話ですが、

例えば、パンフレットやリーフレット類の良さというものは、

歴然としてある訳です。

ネット上のPRと較べ、

印刷物は、やはり実体としての存在そのものが、

受け取った人に与える印象として格段に突出していること。

それは、ゴミ箱にでも捨てられない限り、

対象者が目にする度にアピールしている訳ですから、

ネット上のPR以上のツールとして優れていると言えます。

デメリットは、ネットに対して露出が限られていること。

いわば、マーケット規模に於いて、

ターゲットに届く数量が限られていることです。

さて弊社の場合、

お問い合わせ内容の大部分が、

目的はしっかりある、が、

内容がぼんやりとしていると困惑している方がほとんどです。

よって、予算もページ数も、強いては紙質など、

諸々がすべて不安のようです。

これって考えてみれば当たり前でして、

同じ業界内でもネットしか携わっていない会社に尋ねても、

ほぼ皆分からないのがフツーですから。

そうしたぼんやりとした不安を払拭するために

私たちがいます。

利用しない手はありません。

時間の許す限り、という前提条件付きですが、

お気軽にご相談ください。

一応、知恵と経験はありますので…

森の時間、海の時間

冷えた躰は

無骨な木の階段を踏みしめるたび

徐々に上気し

汗も滲むほどになると

おおげさにいえば、

「ああ、生きているんだなぁ」という

素朴な実感

自分の足で踏みしめる

進む、登る

しまいに息継ぎが荒くなって

晩秋の森のなかで

一個の人間が無意味に汗を流している

内蔵も全開で動いているんだろうな

自分という存在が

森という大きな存在に溶けてゆく

木々の葉が無作為に

ある不文律に沿って

ひらひらと遊歩道に落ちてゆく

やがて視界がひらける

やれやれと思うと

鳥があちこちで

鳴いていることに気づかされる

木も鳥も虫も

静かに生を営んでいるんだなぁ

ペットボトルの水のひとくちが

格別にうまい

丹沢山塊の端の展望台から

湘南、横浜、東京を望む

あそこに住んでいた頃のことが

あれこれと思い浮かぶ

良いことも苦い想い出も

この森のなかでは

無色透明に浄化される

視界の爽快感

山歩きの何が心地良いって

それはいろいろありすぎて…

山2

山1

さきほど見えた海が気になって

後日クルマで海をめざす

小一時間で海に出る

若い頃は山なんて興味がなくて

海ばかり来ていた

海ばかり見ていた

海って端的にいえば

くるくるとめまぐるしく

その表情を変えることだろうか

それは若い頃の不安定な心と同調する

若さと海は相性が良い

この日は

遠く霞んで

雲と波の隙間を縫うように

伊豆大島の輪郭がぼんやりと見えた

めずらしくゆったりとした海

凪いでいる表情

こんな海だったら

海沿いに住むのも悪くないと思う

けれど、ゆっくりしっとりと

四季のうつろいを教えてくれる山あいが

いまの自分のリズムにフィットする

時のうつろい

若い頃は分からなかった

いや気にも止めなかったような…

いま愛おしいのは

時間なのだと気づいた

海2

海1

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