正月は茅ヶ崎の海へ

 

 

茅ヶ崎の海をみるのは久しぶりだ。

自宅から小1時間なのに。

 

 

僕は山沿いに住んでいるので

窓を開けると、まず山を眺めて、

天気だとかの見当をつける。

海沿いに住んでいる人は、空はもちろん波の具合とかで、

その日の見当をつけるのだろう。

 

 

 

正月の4日は快晴で、海も山も風は強いけれど、

陽はさんさんと照っていて、雪化粧の富士山もみえた。

早朝の気温は1度だが徐々に上昇。

が、二桁までは伸びず、

風と相まって海岸沿いはかなり寒い。

 

この海岸から烏帽子岩がよく見える。

茅ヶ崎漁港付近をうろついていると、

地元の方たちが仕事に精を出している。

それが釣り船だったり漁だったり、

年初から忙しそうだ。

 

 

 

近くの店でサンドイッチとコーヒーをいただき、

クルマを辻堂へと走らせる。

休日とあって、なかなかしゃれたクルマが突っ走っている。

ときおり、バリバリバリと騒音をまき散らした

バイクの一団が爆走していたりする。

 

辻堂海浜公園は、サーファーがクルマを停め、

この寒いなか、海へ出ている。

「このクソ寒いのに…」

若いひとはすごいなぁって感心してしまう。

 

 

ここからあとひと息で江ノ島なのだが、

あそこはむかしと違い、

いまでは一大観光スポットなので、

近寄らないことにする。

 

 

で、この日の海を巡るドライブは終了。

帰路も行きと同様、

寒川神社付近で大渋滞に巻き込まれる。

この道を避けるのを忘れていた。

 

やはり年をとったなぁって、

新年早々ぼやいてしまう。

 

 

 

きょうの短歌

 

 

地球って人の心を受け止める泣いて笑って大地を揺らす

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

 

きょうの短歌

 

 

ボクたちはまばたきほどを走りゆく切ないほどの時の旅人

 

 

この風のにおいあの日の君がいた僕らはいつか遠い人となり

 

 

 

 

きょうの短歌

 

 

令和の世天地不和にて荒れ狂い

宇宙の果てへニュース流るる

 

 

 

 

 

ゆれ動く死生観

 

さんざん働いてきたので、

最近では残りの人生を意識し、

時間を爪に火を灯すのごとく

無駄なく有効に使いたいとか、

そんなことを意識しているのではないかと

思えてくる。

 

自分の深層心理は不明なのだけれど、

なにかを急いでいるふしがある。

 

自分は不可解だ。

 

たとえば、夜更けの僅かな時間に、

往年の女優、グレタ・ガルボを観る。

ハービーマンのフルートを聴く。

 

他人からみればくだらない事柄でも、

こっちは譲れないなにかに突き動かされている。

 

昼間は、仕事の合間をみて、

河原へ焚き火にでかける。

写真を撮りにあちこち歩き回わる。

 

夜はジャズを聴きに横浜へ。

 

はちまた書家の先生に教えを請うため、

たびたび目黒へでかけたり。

 

が、こう書くと、

人生は暇つぶしなのか?

とも思えてくる。

 

真剣な暇つぶし。

 

この一連の暇つぶしは、

いまから10年前に検討し始めた。

 

いちおう真剣なのだ。

 

うすうすだが、

死を意識するようになったことが、

そのおおきな要因なのかも知れない。

 

ながい人生でそんな場面には、

幾度となく遭遇したけれど、

最近ではその死さえ確実に近づいてきた訳で、

いよいよ腹を据えての暇つぶしとなる。

 

人生って実はとても単純そう、

と思える記述や映像によく出くわす。

やりたいことをやれなどと、

あちこちで吹聴している人たちがいる。

 

渦中にいるとなかなか

やりたいことなんてやれない。

かつ入り組んでいて、

一見浅いようで、

やはり人生ってどこまでも深遠だ。

 

そして生と死は

一見、こちら側、あちら側と分けることができそうだが、

実は混在していて、

同じ世界の表裏に、または同じ場所に、

いやそれさえ曖昧なまま、

すでにいずれも在るのではないか。

 

なんだか近頃では、

その境界さえこちらの思い込みなのではと

この世の中の成り立ちをあやしんでいる

自分がいたりする。

 

親しい友人ふたりがいなくなってから、

そうした思いはよりつのる。

 

彼らは、どこかにいそうだ。

電話にも出そうだし、

メールさえ返してきそう。

まだ解決していない話がいくつもあるじゃないか。

手を尽くせばなんとか話せそうだ。

死して、相変わらず生きている。

そう感じて仕方がない。

 

さて、今夜はマレーネ・ディートリヒの歌でも聴こうか。

そのうち時が満ちれば、

グレタ・ガルボとも話せそうだし。

 

そして思うのだ。

この生きているっていうこの感覚さえ、

ホントかどうかも分からない。

すべて妄想だったりしてと。

 

きょうの短歌

 

父の海はじめての町いにしえを歩く朽ちた軒先ときは止まって

 

 

 

 

 

きょうの短歌

 

 

手をとめてクルマを飛ばし湘南へ水平線にときは流れて

 

 

 

時代のうねりに気づいてください!

 

政治が荒れている。

ここ数年、日本も世界も同時多発的に政局不安が起きている。

 

特に、西側とされている国々でだ。

きっと同じ課題が潜んでいるに違いない。

 

日本では、自民党・保守派といわれる高市さんが総理の座に就いた。

日本の憲政史上初の女性として内閣総理大臣に就任した訳だ。

 

一時は米騒動のときにチャンスとばかり登場した小泉進次郎氏が

自民党総裁の最有力候補ともくされていたが、

事前にシナリオがあったのではと思えるほど

みえみえの活躍ぶりだった。

 

以前だったら成功した「小泉劇場」だった。

しかし、今回は事情が違い、お父さんのようにはいかなかった。

 

もう新聞やテレビで、国民は動かなくなった。

そろそろ皆が気づきはじめたのだ。

よって、時代なんかパッとかわる―

―かも知れない。

 

アメリカではいち早くトランプが再登場。

アメリカ・ファーストのスローガンのもと、

関税で各国を困惑させている。

勝手と言えばそのように思えるが、

まあ自国ファーストなので国民の支持を得ている。

 

いま、全米では反トランプ運動が起きているが、

あの広い国のどこにフォーカスするかで、

報道なんか、どうにでも料理できる。

 

フランスでは、マクロン大統領がいまにも失脚しそう。

イギリスでも労働党のスターマー政権の支持率が

急落・低迷している。

両国とも、極右と報道されている政党が支持率を上げている。

イタリアは早々と、

やはり極右とされているジョルジャ・メローニが首相の座に付き、

トランプとはいろいろな政策で意気投合している。

 

ウクライナのゼレンスキーは戦時内閣なので、

対ロシアとの戦いが終わり、次の選挙になれば、

必ず負けると言われている。

 

イスラエルのネタニアフ首相だが、

この人も国内で収賄・背任・詐欺で起訴されている。

やはり終戦になれば、裁判にかけられる。

 

よって両者ともなかなか紛争をやめる気がない。

 

中東情勢に詳しいあるジャーナリストの話によると、

イスラエルの国民の半分が

海外に移住したいと考えているのだそうだ。

 

ウクライナ国民も、ガザの人々も、

耐えがたい犠牲と苦痛を強いられている。

 

世界の事情をこうして羅列してみると、

常に誰かがこの世界を操ろうとしている。

嘘と欺瞞で、私たちを欺いているのが分かる。

 

そしていつも犠牲になるのは、いつも無名の市民なのである。

 

夕方のテレビなんかで流れているニュースを観ていると、

肝心の話はしない。

真実の報道というものを放棄している。

現象面ばかりを煽り、決して深掘りをすることを避ける。

ワイドショーに至ってはさらに偏向が激しく、

全く違う世界の姿をみせられることとなる。

 

よっていま世界は2分している。

いわば時代感覚の異なる人間が、

同時に暮らしているということになる。

 

さて、ボクたちは何を信じて行けば良いのか?

真実はどこにあるのか?

そんなことなど知ろうが知るまいが、実はどうでも良いことなのか。

 

真に問題なのは、実はそこなのだが…

 

 

きょうの短歌

 

 

ひとのゆくみち交差点まじわって秋の日差しに笑えあえたら

 

 

ことばの壁にぶつかって我ひとり立ち尽くすローマのまち寒く

 

 

濃いいろ淡色まだらの秋けしき僕の収穫ひとつ老いたり

 

 

 

亡父に謝っておきたかった事

 

もう、親父がいなくなって20年くらい経つ。

暑い夏になると、その日のことを思い出す。

 

喪主の私が親父の骨壺を抱えて、車に乗る。

その日もピーカンの天気で、軽く30℃を越えていた。

骨壺が熱くて抱えていられない。

運転手に頼んでクーラーを最強にしてもらう。

口数の少なかった親父がこの日ばかりは、

「熱い熱い」と饒舌だったような気がする。

 

学生時代、私は左翼がかった本ばかり読んでいた。

とにかく親父が軍国主義の塊のようにみえた。

 

親父は戦争中、満州で戦っていた。

そしてソ連の捕虜になり、シベリアで強制労働をさせられた。

戦争が終わって3年くらい経ってから帰国した。

 

親父は極端に口数の少ない男だった。

私との会話は一生のうちで、一ヶ月もなかったような短さだ。

それが戦争のせいなのか、生来の性格なのか、

ホントのところはよく分からない。

 

一度、母にそのことを聞くと不満そうな顔で

「知らないよ」と切り捨てられた。

 

或る休日の午後、親父に向かって、

「人を殺したことがあるだろ?」と心ないことを聞いた。

親父は一瞬目を細めてとても難しい表情をした。

次の瞬間、唇をかみしめてため息をひとつ吐いて、

ステテコ姿で立ち上がり、

もう一度こちらをチラッと振り返って、

庭に出て行った。

 

それから親父とは一切口をきかなくなった。

 

先の大戦の歴史は、

私も後年になって少しづつ理解するようになった。

歴史を紐解くことは、新しい真実を知る手がかりとなる。

果たして歴史観は修正され、以前に較べ、

違った方向から政経を解釈することとなった。

 

戦争を生きた親父の青春はほぼなかったに等しいと思う。

親父はソ連に抑留されていたので、

帰国してから就職しようとしても、

共産主義者のレッテルを貼られ、

どの会社からも断られたと聞いた。

 

ふるさとの愛知県の村では、

戦争のただ一人の生き残りとして、

近所のやっかみが酷くてそこにいられず、

意を決して横浜に出てきた。

 

そして、就職難だ。

ようやく公務員になれた親父は、

お袋と結婚し、

毎日毎日、同じ時間に家を出て、

毎日毎日寸分変わらぬ時刻に帰宅した。

 

生前、幾度か親父に謝らなくてはと思ってはいたが、

そもそもその会話を親父が覚えているのか、

いぶかしがる自分がいた。

(忘れる訳などないのに)

 

その後悔が年ごとに、重くのしかかる。

 

 

拝啓

父上さま

今年の夏も猛暑でした。

親父、

ホントはあなたともっと話したかった。

もっとあなたの笑顔がみたかった。

肩車なんかしてほしかったし、

そんな父親が欲しかったのですが…

 

私もあなたの死んだ年齢に年々近づいています。

最近、ようやくあなたのこころの内が

みえるようになってきました。

 

戦争って、やるせないことしか残しませんね。

あと、人ってなかなか理解されないものですね。

最近つくづく思います。

 

親父、ホントにごめんなさい。

いまあなたと無性に話したいです。